FUJIMI HERMITAGE DIARY

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WOODBURN STOVE

薪ストーブと幸せ

クリスマスの朝。山小屋の外の温度計はマイナス10度。あたりは一面の雪景色
だ。2、3日前に降った雪が5センチほど融けずに残っている。長靴で庭先を歩
き回ってそのまま小屋の中に入っても汚れる心配がないのがいい。なによりも冬
枯れの景色がいきなり華やかな銀色の世界に変わってくれたのがうれしい。1キ
ロも離れていない峠の南にはまったく雪がないのに,ここはまったくの雪国。

日が射してきて軒のつららが7色の光を発している。部屋の中の温度計をみると
10度をさしている。
クロが枕元にヨタヨタとやってきて,おい起きろ、と右前足でふとんをつつく。
次は左前足で,おれを散歩に連れていけ,とつつく。散歩が大好きな柴犬のクロ
だが,ひとりでふらふらと散歩することは少なく,ヒトと一緒に出歩くのが好き、
という性癖を持っている。面倒なようなうれしいような彼のクセなのだ。
屋根裏から居間に降りる。ストーブの上にのっていたポットから飲みのこしの紅
茶を注ぐ。お茶はかなり熱い。寝る前に直径15センチもある薪をストーブに入
れたのだが、それが一晩中ちょろちょろと燃えていたのだろう。

ストーブの扉をあけてみると薪はすっかり形を変えて白い灰をかぶった真っ赤な
おき火となって残っている。それを鉄のひっかき棒で前の方に集めて新しい薪を
3本ほど入れる。扉を締めて、閉じておいた空気孔をいっぱいに開く。30秒も
しないうちにボッと火がついてボーボーと燃え始める。
クロが早く散歩に行こう,とドアの前で待っている。
散歩から戻ってくるころには部屋の温度は17、8度くらいまで上がっているこ
とだろう。ストーブの上にのせた鉄なべのスープも飲み頃に暖まっているはずだ。

小屋の室温と外気温との間に20度以上差があるのはまったくこの薪ストーブの
お陰だ。このストーブの火を落とさずにいることで冬の小屋の暮らしは暖かいも
のになっている。
たまに、しばらく小屋を留守にして戻ってみると小屋の中は冷凍庫の状態。あら
ゆるものが冷え切っていて惨めな環境になってしまう。冷え切った部屋の中の空
気や丸太の壁,家具など,小屋全体を暖めるまでには半日ほどストーブをたき続
けなければならない。そんなときは古い石油ストーブや電気ストーブも総動員す
ることになる。
そのかわり丸太の壁や柱などがいったん暖まれば,窓をあけようが、扉をしばら
く開いていようが、そう簡単には室温が下がることはない。この薪ストーブを適
度に燃やし続けている間は小屋自体が熱を貯めこんでいてくれるのだ。
寒い夜にはテーブルの下に電気ストーブを入れることもあるし、足元がスースー
するようなときは膝掛けも必要だが、おおむねこの小さな薪ストーブが小さな山
小屋の寒冷時の希望であり光であり熱源となっているのである。
小さなストーブだが、重さは50キロはあるだろう。ノルウエーからやってきた
クラシックな代物で鋳物製。ホーローで仕上げてあるので、もう15年以上も使
っているが,見た目は新品同様。このストーブでどのくらいの薪を燃やしたもの
か見当もつかない。ときどき,お前もいい仕事をやってきたものだ,と肩を叩い
てやりたい気分にもなる。

薪ストーブが楽しいのは,着火から消化まですべて人力によるコントロールをし
なければならないところかもしれない。ガスや石油のストーブと異なり、そこが
面倒といえば面倒なところだが,面白いところでもある。
着火はマッチ一本というわけにはいかない。新聞紙などを着火材として使うのが
普通だが、油のしみこんだ薪などの便利な着火材も売られている。ぼくは空にな
ったペンキ缶におがくずを入れてそこに石油をたっぷりそそぎ込んだものを常備
している。焚き付けといっしょに、そのスターターを珈琲を計る専用スプーンで
一杯か二杯,ストーブの中に入れる。マッチで火をつける。あっという間にスト
ーブ内は最強の火力で充満する。しばらくしたら太い薪を数本を入れることにな
る。あとは部屋の気温をみながら薪を適度に補充するだけだ。半日以上ケアしな
ければ鎮火とあいなるが、小さな種火が残っているかぎり薪の補充をするだけで
最初の火は聖火のように延々と生き延びるのだ。

ケアで重要なのは空気孔の調整だ。薪は空気を好きなだけ取り入れることができ
ると分かると、自分自身を鬼のように燃やしつくしてしまう。ボーボーと最大の
火力で燃えてあっというまに燃え尽き、灰となってしまうのだ。
薪ストーブが暖かいといわれるのは,焚き火などと異なり,薪が燃えるときの直射
熱を浴びて暖かい、というわけではない。実は鋳物のストーブ自体が暖まり、それ
が熱の塊となって、そこから輻射熱が発せられて部屋をじんわりと、気長に暖め
るのである。だからこそストーブは鋳物鉄の塊となっているわけで、100キロ
ほど自重のあるものも珍しくない。鋳物の塊が大きいほど放熱するカロリーが大
きなものになるわけだ。
 空気孔をいっぱいに開いて酸素を供給すれば薪はどんどん燃えてしまい、熱カ
ロリーは煙突からどんどん逃げていってしまう。ストーブ自体が熱を貯めこむ以
上に、大切な熱カロリーは煙突を抜けて消えてしまうのだ。ストーブがストーブで
はなくて煙突の続きとなってしまうと言ってもよいかもしれない。
ここで極意。薪ストーブの燃やし方の基本は、ちょろちょろと長く、これにつき
るのである。

ストーブと基本的に同じ目的で利用されるものに暖炉がある。裸火に触れること
ができて、見た目には暖かそうだが、実は背中の側はとても寒いものだ。それは
焚き火と同じように直射熱で暖をとっているからなのだ。上手に設計された暖炉
ならば煉瓦や石で作られている暖炉自体が熱を貯めこみ部屋を暖めてくれるとい
うが、作りのまずい物は,暖炉で火をたくことにより部屋の空気を煙突から外へ
吸引してしまうという。部屋を暖めるどころか、部屋の空気の流れをよくしてド
アのスキマなどから冷たい空気を呼び込むことにもなりかねないのだ。

とはいえ、暖炉というものはうらやましい。家の中で焚き火をしているようなも
のなのだから、楽しくないはずがない。暖房器具に階級があるとしたら、暖炉は
さしずめ王様クラスといえるかもしれない。アメリカの冬の旅では何度か暖
炉での焚き火を楽しんだ。飾りの暖炉ではないから薪もたっぷり用意されてい
て、暖炉の前で仲間とあーだこーだと語りあうのは愉快な経験だった。ニセコに
住んでいるスキーの深町師は自分で家を作り、暖炉も自作してしまった。暖炉を
築き上げるのに一月ほどもかかったという。鉄平石を埋め込みながらの作業でひ
とつひとつの石に思いがあるとも言っていたなあ。暖炉のせいだけではないだろ
うが、師の家はいつもいろんな人が集まってくる。
暖炉の話ではなかった。あれこれ陳べてきたきたけれども、言いたかったのは薪
ストーブの焚き方という些細なことであった。つまりそれは、ちょろちょろと長
く、である。薪ストーブで,盛大な焚き火のような焚き方をするヒトは薪ストー
ブの「詩と真実」が分かっていないのである。

薪は貴重なものだ。だから大事に使いたい。それにしても煙突から逃げていく熱
量はどのくらいのものだろうか。開口部を締めておいたとしても,おそらく燃え
る薪の熱量の半分以上は煙突から逃げていくのではないだろうか。そんなふうに
傍からみていると思える。
それではもったいない。薪を燃やしたらそのエネルギーを100パーセントヒー
ターとして利用したいと誰でも考えるにちがいない。もし部屋の中で焚き火する
ことができれば、すべての熱は部屋にこもることになるが、同時に煙も蔓延して
、いてもたってもいられないということになる。ストーブという道具はそのあた
りのバランスを考え抜いた経験と科学の集積なのである。バランスとは燃焼と排
煙、そして暖房の3つの要素のかけひきのことにちがいない。

ところで、100パーセントの熱量を部屋の中に放出する素晴らしい素材があ
る。それは炭だ。炭は煙を立てずにその発するところの熱量をすべて部屋の中に
放出してくれる。確かにそのとおりなのだが、炭は薪から炭になる過程ですでに
熱や煙を発していて、かなりのエネルギーを失ったものなのだということにも気
がつく。
とはいえ炭はヒーターとしてはとても効率がよい。ぼくがよくやるのは,この炭
による暖房であり、調理である。

知っているヒトは知っている、知らないヒトはまったく知らない、薪ストーブの
ヒミツを公開しよう。
薪ストーブというのは,実は使い方で炭製造器ともなるものなのだ。開口部であ
る空気孔を絞ることにより,薪ストーブは炭焼きガマに変身する。実際にやって
みればわかることだが、高熱のおき火が充分に残されたストーブ内に,新たに薪
を入れて、空気をほとんど入らない状態で数時間燃やす、というよりも蒸し焼き
にする。まさに炭焼きガマの原理と同じである。そのまま数時間じっと待つ。お
もむろにストーブの扉を開くとそこには見事な固い炭が形成されているのである。

ぼくはこうして得られた炭をストーブの脇に置いてある七輪に移して,火鉢のよ
うにして暖房としてつかったり、調理に利用している。炭の火力は強く、米を炊
いたりすることはもちろんだが、、野菜炒めなど強火が必要な炒め物にも充分応
えてくれるのである。
余談だが、火鉢というものもあったなあ。銭形親分の家にあった長火鉢など垂涎
の代物。ちんちんと湧いた鉄瓶におかんを一本いれて、想像しただけでも面白そ
うではないか。

閑話休題。
クッキングについて語りたい。
調理といえば薪ストーブの独壇場である。専用の調理用薪ストーブというものが
あって、欧米の北国、山国では往時、これによってクッキングを行ったものだと
聞く。ヨーロッパのものはいくらか小型なのだが、アメリカで使われているもの
などはまるで軽自動車のような大きさをもち、重さも2、300キロはあるとい
う怪物である。作られた時代を反映してレトロな意匠や形がたいへん魅力的なも
のだ。今でも人気があって市場に出回っているものだが、この調理用薪ストーブ
こそ、システムキッチンにあるガスレンジや電気レンジのルーツであることを,
僕は調理実習することにより発見した。馬車が初期の自動車に似た所があるよう
に調理用薪ストーブとガスレンジはよく似ている。

ネパールのルクラという村の素朴な宿でアメリカ製の調理用薪ストーブを発見した
ときは驚いた。カマドで料理するのが普通のそのあたりでは、たしかにそれがあ
れば便利なことは分かるのだが、あの巨大なストーブをだれがどうやってそこに持
ち込んだのだろうかと不思議に思ったものだ。宿の女将はそれでピザを焼いたり
パンを作って商いをしていてアメリカンスタイルの朝食などとても人気があっ
た。どうやらそこの宿とその女将を気にいった金持ちアメリカ人が「お宅にぴっ
たりと」プレゼントしてくれたのだというのがその後わかった経緯だった。その
アメリカ人はヒマラヤの山登りやトレッキングにしばしばやってきて、この宿を
何度も訪れたのだろう。

さて、我が家の小さな薪ストーブによるクッキングのことである。
薪ストーブ上のクッキングは、ストーブを燃やして暖を取るのと同じように実用
的なことであり、燃やす楽しさ以上に面白い仕事である。
小さな薪ストーブだが、20センチ直径ほどのホットプレートが天板に乗ってい
る。そこに鍋を置くことによりあらゆる調理が可能となる。お湯を湧かすのはも
ちろん,鍋、煮物など自在である。ホットプレートの真上でなくてもその脇、ど
こでもよいがストーブの上に鍋,ヤカンの類を置いておけば,それは面白いよう
に暖まり,強火が必要なときはストーブに薪を補充することによって,鍋の中身
は沸騰するのである。
部屋を暖めながら自然に料理ができあがってくるのを見ているのは楽しい。

長々とキーボードの前で原稿を書いているうちに陽が傾いてきた。非情な北風も
強くなってきたようだ。さあて、今夜のメニューを考えなければ。
夕食はケンチン汁とほうれん草のおひたし、そしてアジの塩焼き、あたたかいご
飯としよう。ケンチンは材料を全部鍋に入れてホットプレートの上に載せるだ
け。1時間もすればぐつぐつとよい匂いを放ちながら仕上がってくるはずだ。ほ
うれん草のおひたしは景気よくおこっている七輪でひとゆでしよう。そのあとへ
乗せるのは米の入った釜,炭の火力のなりゆきのまま、強火からやがて弱火に,
ほっておくだけでふっくらご飯がたけることになっている。アジの塩焼きは七輪
で焼く手もあるが,魚の煙が部屋にあふれてしまう。そこでモチ網を丸めた手作
りの網に入れて,そのまま,なんとストーブの中に入れてしまう。強火の近火で
アジはあっという間にきれいな焼き色がついて食べ頃となる。そうだ、熱燗もほ
しい。大きなシェラカップにとくとくとお酒を注ぎストーブの隅に置いておこ
う。
外は氷の寒さでも小屋の中はぬくぬく。幸せは薪ストーブが運んできてくれ
るようだ。そういえば今夜はメリークリスマス。



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