IN THE WOODS

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TELEMARK SKIING

スキーのこと

徳地保彦

雪の遠い南カリフォルニアに暮すようになってスキーにはす
っかり足が遠のいた。ロサンゼルスの近郊には3000メートル
の山がいくつかあって、冬の間のしばらくは自然の雪でスキーが楽しめる。とこ
ろが人が多いのとリフト代が高いのとで、ぼくはシーズンに一度ぐらいしか行か
ない。バックカントリースキーとなると降雪のタイミングが特に難しく、近郊の
山でパウダーなんかを楽しむのは至難の技だ。400マイルは離れたシエラやタホの
山に何時間もかけて出かけていかねばならない。

スキーは滑らないでいるとますますへたくそになっていく。クライミングもスキーもただ
面白いというだけで気合を入れて集中してやったことはないので、もともと上手というわけではな
い。だからこれ以上へたくそにはなりそうもないのだが、久しぶりに深雪なんかにもぐり込んで奮闘して
しまうと、こんなはずではなかったのにと情けなくなってしまうのだ。

まだ暖かい師走に訪れた日本で、白馬方面にスキーに行く機会があった。学生時代には大町にある友人の
実家に何日も泊まり込んで春スキーを楽しんだこともある。白馬周辺でスキーをするのは10数年ぶりになる。高速
道路がなかった昔は東京方面からだと塩尻峠を越えるのも大変で、勝沼辺りからだらだらと一般道を走り、塩尻峠で
チェーンを付けて、松本を過ぎてからは雪わだちにハンドルを取られながらようやくスキー場にたどり着くことができた。
深く雪の積もった里山にテントを張って五竜や白馬の尾根を登り山スキーの練習をした。

ぼくがテレマークスキーを始めたのは80年代の前半だ。初めて行ったコロラドのスキー場でレンタルのテレマークスキーを
借りた。白馬で山スキーの練習をしていた頃からしばらく後のことだ。その頃、テレマークスキーはまだ完全にクロスカント
リースキーで、レンタルもゲレンデから離れたクロカンセンターで取り扱っていた。名前は忘れてしまったが借りたの
は茶色のロシニヨールスキーだ。平地を走るクロカンスキーにエッジを付けたものだった。滑り止めワックスをキ
ックゾーンに塗れるダブルキャンバータイプだった思う。靴はもちろん皮製で、当時、日本で流行ってい
たスノトレシューズにスリーピンのコバが付いたような頼りないものだった。

テレマークターンは山足が前か、それとも谷足が前かなどとだっだ広い斜面で遊んでいたら、ひ
とりのテレマーカーが近づいてきた。いっしょに滑ろうといってきたのだ。彼の道具はぼくのと
たいして変わらないが、持っているストックがやけに短い。手首にだらっとぶら下げてやっ
と先端が雪面に着く長さだ。テレマークスキーは長いストックで両手を上げて万歳ス
タイルで滑るものだと信じていたからこれにはちょっと驚いた。ゲレンデで滑
るだけなら歩いたり登ったりしないのだから長いストックは不要なのだ
が、それにしても短すぎる。

その理由は彼の滑りを見てすぐに判明した。彼のテレマーク姿勢は
膝を深く折り曲げて滑るスタイルで、もうほとんどスキーの上に
座っている。細いダブルキャンバーのクロカンスキーに、足首
の不安定な柔らかい革靴でコロラドのだっだ広いスキー場
を飛ばすにはしゃがみ込みスタイルが必要だったのだ。
だからストックもそれぐらい短い方が便利というわ
けだ。ぼくはそんな本場テレマカーのスタイル
を真似ながら、必死になって彼の滑りを
追っていった。


今回、白馬でいっしょに滑った友人たちはさすがにモダン
な滑りをしている。ひとりはプラスチックブーツとカービン
グスキーで鋭いターンを切っていく。どちらの道具も、今で
はすっかりテレマーク界に受け入れられている。彼はアメリカのス
ノボー小僧から波及したダウンヒルヘルメットまで被っている。最近
はこれが流行のようだ。もうひとりはツアー用の革靴だが新品の板でな
めらかに小回りターンを決めていく。ぼくはといえば、ここ10年ぐらい1シ
ーズンに1、2回ぐらいのペースだから、そんなターンは到底期待で
きない。久しぶりに白馬で味わう雪の感触を楽しむだけだった。

シーズン初めで雪量も今ひとつの白馬だったが、栂池では偶然
会ったTAJのインストラクターが駐車場まで滑り降りる特
別コースを教えてくれた。初心者不可の深雪コース
だ。泥のように重い悪雪にもかかわらず友人ふ
たりは面白そうに滑り降りていく。ぼくのター
ンは3回ほども続かない。ぼくは雪まみ
れになりながらようやく車まで降り
ていった。そして、待っていたふ
たりにこういった。「このスキー
、ぜんぜーん滑んないじゃー
ん!」 練習不足で深雪が
滑れない言い訳をヘ
ルメットを被っ
た友人か
ら借り
たスキ
ーの
所
為
に
し
た。

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