メローイエロー

MELLOW YELLOW


内藤ヨナス(彫刻家)
 
 
 たぶん今年最後の冬の日だったと思う。完璧な西高東低の気圧配置に
なり、等圧線は東の海上にグラマラスな女性のように張り出していた。ガ
イド稼業のテツと女性クライマーのヨーコ。いつものメンバーで今回はア
イスクライミングと冬壁をやろうと、赤岳鉱泉へやってきた。早朝の空は
昔ミルマスカラスが着けていたマスクのように真っ青で、その空をすかし
てダイアモンドダストの舞うアプローチは楽しかった。この光景も今年は
これが最後なのかと思うと淋しい気もしたけど。ジョウゴ沢のF1は完全
に埋まっていて、F2もキックステップで登れた。もっと足をのばして乙
女の滝まで行くと、けっこうバーチカルな氷柱が立っている。テツが軽や
かにリードしていく。初心者の僕はトップロープを張ってもらい、けっ
きょく大量のかき氷を製造し、太ももに落氷で大きな青アザをつくった。
でも、笑いがとまらないほど面白かったのだ。
 翌日は曇天。小雪も舞う。中山乗越を横岳西壁へ向かった。中山尾根
の下部岩壁にたどり着く頃には、雪は風をはらんで吹雪のようになってき
た。少し迷ったけれど昨日のグラマーな天気図を思いだすと一時的な風雪
だと判断して僕らは岩に取りついた。
 岩の状態は予想以上に悪い。ホールドというホールドに雪が着いて氷
化している。出だしの悪い1ピッチを雪かきをしながら登っていく。下部岩
壁の中間辺りまで来る頃には完全な吹雪となり、気温もグンと下がった。
リードするテツのマーモットのオレンジ色のウエアがあっという間に雪の
灰色に消える。僕とヨーコは手をこすり合わせ、足踏みをして、凍傷にな
らないようにしながらテツをビレイした。それでもヨーコの目出帽から出
た顔の部分はどんどん白くなってくる。これはヤバイかな、と思ったけれ
どテツは突っ込むつもりでいるらしい。あやういトラバースに出た。岩は
雪にくるまれて、どこにアイゼンを蹴り込んでいいのか分らない。わずか
に張り出した木の根に出っ歯をかけるしかない。ヨーコがピッケルを壁に
打ち込みながら一歩を踏みだす。木の根にアイゼンがかかる。横這いに慎
重に進み、あとわずかでトラバースが終えるというとき、木の根がバキッ
と音をたてて折れた。ヨーコはトラバースでザイルが伸びていた分、長い
距離を谷に消えていった。一度、木にぶつかってそれをへし折る音が聞こ
えたのを最後に、吹雪のカーテンが視界からヨーコを隠した。
 不思議なのはパニックで頭が真っ白になるとき、いつも音楽が聞こえ
てくる。その曲はきまって、ドノバン(注1)の゛メローイエロー゛(注
2)だった。悪い予感がする。女の子にふられたときも聞こえてくる曲だっ
たからだ。
 ザイルはピンとはりきっている。僕の叫ぶ声は自分の耳にとどく前に
吹雪にかき消された。゛メローイエロー゛が一曲終わってもヨーコは姿を
あらわさなかった。レコードプレーヤーのオートリピートがもう一度同じ
曲をかけ始めたとき、メロー(注3)の黄色のウエアが僕の視界にとびこん
できた。ヨーコは雪壁をダブルアックスで登ってきたのだ。全身雪まみれ
だったけど、メローの黄色は確実に僕に近づいてきた。
 ボロボロになりながら、上部岩壁を越え地蔵尾根を下った。幸いヨー
コは外傷はなかった。顔と手の指に軽い凍傷をおっただけだ。僕の方は睫
毛に張り付いた氷を無理やりはがしたとき、上の睫毛がぜんぶ抜けてもの
すごく間抜けた顔になったぐらいだった。
 でも、新たな発見があったことが今回の収穫だ。゛メローイエロー゛
もたまには幸運を呼ぶっていうことだ。
注1、「ドノバン」:イギリスのロックシンガー。その後フォークに転
身。ブラザーサン・シスタームーンなどの曲がある。
注2、「メローイエロー」:ドノバン初期の代表的な曲。アルバム「メ
ローイエロー」に収録されている。
注3、「メロー」:正しくはMELLO`S。イタリア、サマス社からだしてい
るクライミングウエアのブランド名。


 

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