TEACHER

師匠
ITO SIZUKA 伊藤 静


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分相応とはとても思えないがクライミングバリバリの彼が、13上の僕をときどき
こう呼ぶので、こっちも合わせる。
「ん、なんだ”弟子”?」
「連休、カエラズ・イチ(不帰I峰)行きましょう」
ひゃぁ、くたびれそうぉ..と咄嗟に思ったがそうは云わない。
「雨降ったらやめような、連休って雨多いぞぉ」
年の往った仲間の間でここのところ僕がタマナシ・オヤジと呼ばれていることを弟
子は知らないのだ。連休の頃の”断壁”は木登りだ。そう、まるで”垂直のジャン
グル・ジム”。前に登ったのは大昔だがその核心部を思い出すといまでもうんざり
する。
8年前ペルーで800mのアイス・フルートを二人で狙ったとき、彼は5200m
の取り付きで高熱をだしてしまった。肺水腫寸前の彼を麓までひきずりおろすと今
度は僕がまいってしまった。僕たちはふらふらになってお互いを励まし合いながら
、3日間かけて25k離れた一番近いインディオの集落に辿り着いた。それ以来、
僕は彼の”師匠”になったらしい。

ところが、黄金週間は初日から本当に雨。連休とはいってもそう長く休める訳では
ない。1日のロスで予備日が削られ、2日だめなら、たぶん中止だ。といってのっ
けから濡れてまで強引に山に入るのは恐ろしい。
休暇ばかりか予算まで乏しい僕たちは、二股近くで不景気を象徴するような工事を
途中で放棄したらしい、まるでテレビ・ドラマのセットみたいな”別荘”を見つけ
て、そこにベースを構えた。
塩野七生の「パクス・ロマ-ナ」をひとしきり読んでから街に出かけ、コーヒー一
杯でビデオが好きなだけ見られる喫茶店に入って時間を潰す。弟子がそわそわと年
中雲行きを観察しているのを後目に、「新妻の喘ぎ」と「ミッドナイト・エクスプ
レス」を見たらもう夜になってしまった。ビールと白馬錦をしこたま買って”別荘
”へ戻る。
明日晴れたら一番でロープウェイに乗りましょう、という弟子に相槌を打ってから
、”師匠”の説法を説く。曰く、「目的の固定化」は山ヤをだめにするの巻き。コ
ロッと変えるのは得意で、彼だってそれは百も承知だ。立山からスキーで上高地を
目指したときも薬師を越えたところで嵐につかまり、太郎で停滞、天気を睨みなが
ら金作カールの滑降に切り替えた。インドくんだりまでいってもこの構えは変わら
ない。さんざん調べ上げていったその山の攻略ルートを北西稜からふらっと東稜に
変えた。そっちの方がおもしろそうだったからというだけでだ。
明日だめなら、プランを変えよう。持ち札は一杯あるんだ。たとえば3峰Aリッジ
を登ってXXルンゼをスキーで飛ばすんだ。おっと、いまなんか妙な気がしたぞ。
「なんすか?」
「なんだか、上から誰かに”読まれてる”ような...」
「やだな、気のせいっすよ、それでXXルンゼなんていったんすか、ソフィーの世
界みたいじゃないっすか。それどこっすか?」
「フフフ、明日話すっすよ(移っちゃったよ)、”小林君”」

結局翌日も雨。
しかし、今朝の気圧配置から明日の好天を楽観的に読んで、夕方近くまでビデオ(
今日は「垂乳根の焦り」と「ディア・ハンター」の前半だけ)を見てから、ロープ
ウェイに乗った。雨があがり薄暗くなりかけた尾根をゆっくり八方池まで登って、
ツエルトを張る。ブロックを切り出してツエルトの廻りに積み上げた頃には真っ暗
になってしまったが、空には星が輝き始めた。
主峰はもう無理だからここから空荷でAリッジをやって戻ることで弟子も納得。3
時に起き、5時に出発。快晴だ。空荷とはいっても、スキーとクライミング・ギヤ
、それにスキー靴(山スキーなんて持ってないんだ)があるからそう楽チンではな
い。僕はもう50に近い。ランニングや水泳で鍛えてはいるがBGMがないとだめ
。今日はシェルリ・クローだ。ふんふんふん...ランベビ、ランベビ、ランベブ
、ら~ん...。はぁはぁはあ。ゼーゼーゼーッツ、ラ~ンベビ...。
稜線には重い新雪が積もって、スキーが用を成さない気がするし、気温が上がった
と・ォに恐ろしいことになるだろう。いそいでスキーをデポし、急な唐松沢を慎重に
下った。Aリッジに取り付いてものの10分もしないうちに両側のルンゼを雪塊が
バカスカ落ちてきた。
「危機一髪っすねぇ、師匠」
「ま、こんなもんだ。...弟子、全部リードしなさい」
「へい」
弟子は雪壁も岩も軽やかにこなしていく。
「師匠、ここの岩はおもしろいけど、残置ピトンが多すぎるっす」
「なんで、そう思う?」
「...」
「そう感じさせるこだわりがあるんだな、きっと」
「要らないピトンは抜いていっちゃいましょうか?」
「ワシは自分で落としたゴミは拾うが、ひとのものまでは拾わん」
「ピトンはゴミっすか?」
「たぶん自然からみればピトンどころか人間そのものでさえゴミだ。人間などいな
くたって客体としての自然は存在するからな」
「抜くなってこってすか」
「想像力を説いている。人生そのものが想像の産物かもしれん。不要な”物”が目
に映るのはある種の力が失われているからだろう」
「ある種の力って、なんすか?」
「弟子はクライミングはうまいが、鍛えるものを間違えている。”物”にこだわり
すぎると神髄を逃す」
「逆じゃないっすか? 物にとりつかれてるから要らないボルトやピトンを打った
り残したりしてるっす」
「それも然り」
「しかし、それは”弟子が要らないと感じる物”を取り除くことと何も変わらん、
ただの裏返しだ。進むべき道は寛容な想像のなかにある」
「師匠、なんかよく分かんないけど、A0ばっか使ってるっすね。あれもある種の
力っすか?」
クッ。A1でも怒られるポイントじゃないんだけどなあ。
「あは、あは、あははは....」

クライミング中の禅問答はあまり感心しない。でも、先行する3パーティを抜いて
昼過ぎには稜線に抜けた。いまだに雲一つ湧いていない快晴だ。パンとサラミを頬
張ってから、スキーを着ける。狙っていたXXは1、2峰間ルンゼだが、いまは恐
ろしいラビネンツークになっているだろう。スキーがそう得意でない弟子はもちろ
ん、僕もびびってしまい躊躇なく中止。
この時期の新雪はスキーをひどく不快にするから、ただ八方を下るだけでも憂鬱だ
。1度のターンに100回位の思いこみが必要なぐさぐさの新雪で、弟子はさっさ
と見切りをつけてスキ-は担いでおりて行く。しかし丸山の手前までくると新雪は
消え、極上の茶色に沈み込んだ雪に変わった。一番急な斜面に飛び込む。しかし、
スキーを使うクライマーにとって、ここの核心はじつはゲレンデだ。例えば黒菱上
部の急な氷化したコブ、肩にはギヤでずっしり膨らんだリュック。山スキ-のル-
トにはない危険な課題が待ち構えている。
黒菱の壁の手前で止まろうとしたのがいけない。止まったと感じてから100分の
1秒遅れていきなりリュックの慣性に引き込まれ、40度で落ちているゲレンデ側
に吹っ飛んだ。リュックに振り回され、為す術もなくものすごいコブの海を200
m滑落して止まった。
仰向けになってそこにいると、やがて弟子のボーゲンが視界に入ってきた。
「師匠、カッコ良かったっす」
「こけたのにかぁ?」
「じたばたしないで落っこちていったじゃないすっか」

僕にも”師匠”と呼ぶべきひとがいた。アル・パシーノが演じた魅力的な盲目の退
役軍人にそっくりで、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で6年間の闘病のすえ僕に「
あきらめるな」という力強い一言と、「弥陀の請願不思議...」という親鸞の神
秘的な一節を僕に宛てて、5年前に逝ったのだ。自動車エンジンの開発に従事して
いた”師”は、地味で粘り強い技術者であり、昭和30年代に谷川岳の壁で活躍し
たクライマ-のひとりでもあった。また、卓越した指導力とカリスマ性で、オ-ト
バイのレ-ス、4輪のラリ-、米国でのスノ-モ-ビル・レ-スなどでもそれぞれ
のリ-ダ-としてチ-ムを好成績に導いた。
彼からは学ぶべきことが多すぎた。多すぎて何一つ消化できない僕は、できの悪い
”弟子”だ、と思う。それで、”師”は僕に2つのテ-マを残したのだろう。
たとえば”山”をいつまで続けられるか。
結婚して子どもを持ったり家を建てたりすることが、ひとを”山”から遠ざける。
”山”はリスクの高い”遊び”だからだろうが、しかし、そこには人生を豊かにす
る機会がちらばってもいる。

「カッコ良かったとすれば、わしもまだまだ修行が足らないってことだ」
「....」
「”足がもつれても、もつれたまんま踊り続けろ”(アル・パシ-ノの台詞)って
な」
「師匠、白馬にうまい蕎麦やが出来たっす。さっさと降りて、そば食いにいきまし
ょう」

  

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