THE SIERRA HIGH ROUTE
シエラハイルート走破行
期間:1998/4/25-4/30 パーティ:ベンジャミン バーディ、マット バーディ、糸尾希沙、真壁章一 伊藤裕之、渡辺賢二、溝部克実、北田啓郎 日本に記録的な少雪をもたらしたエルニーニョは、カリフォルニアでは季節はずれの 大雪を降らせていた。4月半ばを過ぎてから、ハイルートもかなりの雪が積もったと の連絡が入り、雪崩や、重いシエラセメントのラッセルなど、前途は多難そうだ。日 本チームはサンフランシスコでいつものようにフォードの15人乗りフルサイズバンを 借り、ヨセミテ経由でフレズノに向かう。本当はタホスキー場あたりで足慣らしをし てからフレズノに向かう予定だったが、あわただしすぎるスケジュールなので、まず はヨセミテ観光でお茶を濁すこととなった。ヨセミテは予想外に天気が悪く、気温も 低い。ヨセミテフォールの下にはまだ多量の雪が残っていた。 ハイルート走破の第一関門は、いかに入山下山の足を確保するかである。僕たちのと った方法はいくつかある中で最も贅沢な方法だ。 まず2台の車で下山口のウルバートンまで行き、バンをデポしてくる。次にフレズノ から軽飛行機で東へシエラを飛び越える。最後に入山口までは現地のバンサービスで 運んでもらう、というわけだ。飛行機代は1機$800、1人頭にして$180、日本の新 幹線や高速料金と比べ高い気はしない。 飛行機は双発のパイパー機2台。主翼のエンジンルームにスキーとストックがすっぽ り入るのがとても便利だ。飛行機オタクのニシが珍しい小型機を見つけて興奮しなが らシャッターを切りまくる。空港は宿にしたホリデイイン・フレズノエアーポートの すぐ脇にあり、移動には理想的だ。 前夜は酔っ払いながら各自パッキングに努力する。徹底軽量化を自負する糸尾記者の ザックが意外にも重いことがわかると、土壇場で酒を減らしたりしている。最も若手 のナベちゃんのザックが最も小さく、溝部氏から一言があったり、今回は皆いつにな く重さにナーバスである。真壁氏、ベンさんは体力に自信があるのか、結構でかいザ ックである。 シアトルから夜遅くにマットさんが到着。仕事が忙しそうで、ホテルに来てからどた ばたと装備を点検している。マットの荷物は一番でかく、その中にはこれからお世話 になる貴重な装備がぎっしり詰まっていたのだが。 4月25日、出発の日、6:30起床。ホテルの甘すぎるドーナツとコーヒーで朝食を済ま せ、ベンさんの車で3回に分けて荷物を運ぶ。パイロットは日本にも来たことがある という退役軍人だ。 9:30、いよいよフライトである。飛行高度は4、5千メートルくらいか、登山者がいれ ば見えるくらいにまじかに稜線を越えてゆく。先行した機とは少しルートが違うのか 、機体は見えない。僕の機はいちどエアーポケットに入り、シートベルトをしていた にもかかわらずおもいきり天井に頭を打付けてしまった。 着陸地は、昨年も通ったインディペンデンス。シエラクレストを越えると、機体はお おきく北に旋回し、はるか下方に箱庭のように見える滑走路をめがけて、高度を下げ ていく。シエラ山脈の東と西では、景色がまったく違う。こちら側は、乾燥しきった 砂漠地帯、インディペンデンスはその中のオアシスである。 待ち構えていたバンサービスのトラックに荷物を移し、すぐに出発。すぐに埃もうも うの砂漠の中の、ジープ路らしきを進む。 入山口はシムスクリークだが、地図で確認するとかなり山の近くまで入ってくれたよ うだ。辺りはガラガラヘビでも出てきそうな砂漠で、トラックが2台デポしてある。 ここで最初のトラブル発生。真壁さんのストックがないのだ。共同で荷物の積み下ろ しを繰り返したから、車か飛行機かに置き忘れたに違いない。車は行ってしまったの でもはや戻る方法はない。ストックがなければ歩けない、真壁さんの頭の中は真っ白 になったに違いない。 しかし、神は真壁さんを見放さなかった。マットさんが出発前に悩んだ末、予備のス トックを持ってきていたのだ。 *** ひとりずつ準備が出来たものから歩き出す。山の上は雲がかかっているが、頭上は砂 漠の青空である。サボテンなどを踏みながら雪のない山路を歩く。徹底軽量化をはか ったザックだが、一週間分の食料とスキーまで担ぐと、25キロぐらいあるかもしれな い。クリークを離れ急傾斜をジグザグに登ると、やがて雪が現れ、スキーをはく。27 30mのシムスサドルにでると、目の前にMt.ウィリアムソン(4313m)が聳え立つ 。確かアメリカ本土で第2の高峰である。その右肩はるかに、明日越えるはずの第一 の難関、シェファードパスが望まれる。ここから幕営予定地のマホガニーフラットま では予想外に長く、一度シェファードクリークに向かってかなり高度を下げ、再び登 りかえさねばならなかった。 *** 2日目は、シエラクレストと呼ばれる主稜線を越える難行が待っている。シェファー ドパス、3600mである。 アンビルキャンプ手前の急斜面でロープを使用する。岩の迷路となっているモレーン 帯を苦労して抜けると、パスに続く急斜面が立ちはだかる。といっても最大傾斜40度 くらいだろうか、アイゼンピッケルを使用すれば難しいわけではない。しかし荷物の 重さと高度になれていない身には結構つらい。コンディションの良い者といまいちの 者の差は大きく出る。 真壁さんが最初から絶好調である。他を寄せ付けない速さで登ってゆく。糸尾記者は 半分ぐらいまでシール登高しきわどいバランスでアイゼンに履き替えている。マット 、ベン、ナベ、北田、ヒロあたりはまあまあの調子だが、溝部氏とニシが大きく遅れ ている。溝部氏の昨年のあの馬力は何処へ行ったのだろう。ニシはまあこんなものだ ろう。 登りきると広大な雪の砂漠のような地形が現れた。カーンリバーまでほぼ平坦か少し 下り。シールを剥がし、一人遅れているニシの姿を、はるか後方に確認しながらキッ クアンドグライドで快調に先を目指す。少しでも下り傾斜だとスキーはほんとに楽だ 。 日が西に傾くなか、クラストがはじまった斜面をひとくだりすると、池のほとりに平 らな第2日目のキャンプサイトが見つかった。雪を掘り氷を割ると、うまい具合に水 が現れた。いつものように小型水浄化器で汲み上げる作業をする。まわりは樹林帯で 、日本でいえば黒部の源流でキャンプしている感じだろうか。陽が落ちるとあたりは 急速に冷え込んでくる。そんな中ベンとマットは最後まで外で夕食をとる。温度感覚 はアメリカ人と日本人ではかなり差があるようだ。 *** 三日目は第2の難関マイルストーンのコル(3900m)を越え、トリプルディバイドピー ク下までの予定で出発する。ここからがハイルートの核心部である。シエラクレスト の西、シエラのど真ん中にはしるグレートウェスタンディバイドをたどるからだ。1 、 2日前に通過したらしいシュプールがあり、気楽な気分で出発したが、地図をよく 見なかったのが災いし、かなり進んでから、一本南の谷に入り込んでいることがわか った。周囲の景色は素晴らしく、このまま進んでも方向的にはよいのだが、たぶん最 後のつめが急で苦労するだろう。マイルストーンクリークとこの谷を隔てている尾根 の弱点を探し、そこを越え、正規ルートに出れないか偵察をする。尾根上に出ると、 反対側はかなり急ながけになっていた。アメリカの地図は、等高線のみで、日本のよ うに岩記号がないので、行ってみないとスキーが使えるかどうかわからないのだ。 結局、マット隊は尾根を忠実に数百メートル下り、結構な急斜面をスキーで下降し、 トラバース気味にマイルストーンクリークの上部へ出るルートをとる。北田と記者、 ニシの3名は、尾根の手前のよい斜面をスキーでどんどん下り岩場のきれたところか らマイルストーンクリークに回り込んだ。登り返しがけっこう長かった。正規のルー トに出た時は、かなり時間が経っていた。今日中にマイルストーンのコルを越えたか ったが、何か緊張の尾が切れた感じで、コルのかなり手前の池のわきで3日目のキャ ンプとなった。 雲一つない晴天が続き、風もない心地よい春の午後、周囲の景色も申し分ない。休養 のタイミングとしては良い決定だろう。惰眠をむさぼる者、装備やふやけた足の虫干 しをする者、お茶にする者、さまざまだ。元気が余っている若手のナベとベンがスキ ーを始めた。荷物がないと気持ちよさそうだ。ナベが目の前の岩に挟まれた少クリフ に挑戦しようとしたが、土壇場でチキン状態になってしまった。MSRストーブの通を 自任するニシのXGKがこの日不調になった。あれこれいじっても直らない。お湯も作 れないで困っていると、マットがそのでかいザックの中から、なんとスペアのコンロ を出してきた。マットは寡黙な男だが、実に頼りになる。 *** 4日目。今日こそ核心のグレートウェスタンディバイドをぬけ、ハイルートの後半部 に入ろうと、勇んで出発する。東面に向くマイルストーンクリークは早くから陽が差 し、アンダー1枚で歩いても寒くない。ナべがオーバーパンツを脱ぎ、パンツスケス ケのアンダータイツ姿で歩き、顰蹙を買っている。 コル手前までに2ピッチ、傾斜がきつくなる手前でアイゼんにはきかえ、急な雪面を トラバースする。コル自体は狭い岩尾根で、反対側はマイルストーンボウル。出だし は40度くらいの急傾斜である。 ザックが重いので、とても華麗なテレマークターというわけにはいかない。慎重にデ ブリを避けトラバースし、途中から気持ちよくターンをきめる。あまり下りすぎない ようにし、トラバースに入る。稜線の下の急なカールの側壁をひたすら斜滑降する。 その先コルビーリッジを越える場所を探し、再び迷ってしまう。比較的上部の急な雪 面をアイゼン登高するか、岩場を下方まで回り込みスキーで越えられそうな弱点を探 すか、意見が分かれた。結局かなり下までスキーで下る案を試みたが、回り込んだ先 が岩壁で越えられそうにないことがわかり、昨日に続きまたまたシールで谷を登り直 す。リッジを越えられず、この日も核心手前で時間切れとなり、3300m地点でキャン プにする。ハイルート手強し、といった感じだが、天気がよいので、悲観した意見は 出ない。明日こそ、である。 この辺りは熊の新しい足跡がたくさんあり、食料はまとめて木の上に吊るした。 *** 5日目。東に面した谷なので、早くから陽が差し、尾根の上部も輝いている。コルビ ーリッジの乗っ越しは見た目ほど悪くなかった。 尾根上の出たところは約3650mの 地点。広い尾根で、ここからスキーが使えそうだ。スキーを付ける。少し下ってから 、再びえんえんとカールの側壁をトラバースである。はるかかなたに見えたトリプル ディバイドピークがどんどん近づく。山容とそのこなし方にようやく慣れてきたせい か、今日は行動が順調だ。 トリプルディバイドパスまではシールで達する。反対側は岩交じりの急斜面。偵察の 結果スキーで滑降可能と判断し、岩の間で慎重にスキーを履き、思い切ってジャンプ ターンで1回転する。雪は硬いが、エッジは効き、2,3回転するうちに傾斜も落ち てくる。すぐ下がグレイシャーレーク。ようやくグレートウェスタンディバイドの山 場を越したので、ここで行動食を食べながら今日の行動予定を話し合う。予定より1 日遅れているのと、天候が崩れた時のこの先の行動を考えへ、今日は頑張ってロンリ ーレイクまで足を伸ばすことに決定する。 ライオンレイクのコル下へ降りるのは、アメリカチームは岩場の下の急斜面をスキー で回り込み、日本チームは岩場の上から岩交じりの急斜面をアイゼンで下った。ニシ が不安定な雪を踏み外し、危うく谷へ転落しそうになり、一同肝を冷やす場面があっ た。 行く手にはクラウドキャニオン上部のとてつもなくでかいカールが広がっている。1: 30、巨大な二つのカールをトラバースしなければ、今日のキャンプ地はない。クラウ ドキャニオンはシールでひたすら歩き、カッパーマインパスはアイゼンで登る。デッ ドマンキャニオン側は急だがスキーで下れそうだ。トラバース気味にひとりひとりス キーを滑らせて行くが、最後のほうは上層の雪が落とされて固いクラスト面が露出し 、谷底へ落とされそうなトラバースであった。 デッドマンキャニオンは半分までシールなしで滑れたので時間が稼げた。特徴あるフ ィンパスをスキーのままで乗り越すと、今度は先ほどまでと逆の方角に開いたカール に出る。その真ん中がロンリーレイクだろう。もちろん今は雪の下だ。 低い樹木が出てき、山場は越えたことを実感する。トラバースばかりでうんざりして いたが、ここはキャンプサイトまでいっきに滑れそうである。一人二人とスキーを下 に向け、思い思いのシュプールを描く。雪質は柔らかめのコーン。最高の気分だ。17 時、陽はまだ十分に標高3200mのキャンプサイトを照らし、風もなく、空には長閑な お天気雲が並んでいる。 これで5日を無事消化、残るは2日だ。ぼちぼち余りそうな食糧を整理するものも出て 、気分は一路下界とビールへ飛んでいる。前半やや不調だったニシと溝部氏は調子を 戻し、代わって伊藤記者が胃炎で調子をおとしている。絶好調は真壁氏とマット、そ の他はまあまあの調子だ。 マットがしぶとく水の湧き出ているところを発見したので、炊事はぐんと楽になった 。大きな岩の下を、耳を澄ませると確かにちょろちょろ水の流れる音がする。浄水器 の管を隙間に落とし、ポンピングするとおいしそうな水がボトルに溜まっていく。ポ ンピングをボトル3本もやるとさすがに腕がパンプしてくる。ニシと二人で鼻水凍ら せながら、皆のボトルに水を溜めるのに30分以上かかってしまった。それにしても、 春のシエラでは小型浄水機は必携品だ。僕の使用しているなはスイートウォーター・ ガーディアンというモデル。コロラド製だ。ポンプがテコの利用で使いやすい。 *** 6日目。今日の予定はペアーレイクハット周辺まで。基本的に下りだから気分はるん るんだ。いよいよ高山地帯を離れる日だ。さびしくもあり、うれしくもある。 下り気味のトラバースからテーブルランズに登るが、谷を隔てた南側は、グレートウ ェスタンディバイドの高峰が重なるように連なり、眺望は並外れたものだ。 ペアーレイクハットへ導かれる谷に入るまで、かなり複雑な地形のためルートを探す のに苦労したが、ルートがはっきりすれば、後は速い。マットを先頭に緑が増えてき た広い谷をぐんぐん滑り下る。 雪の腐った急斜面に思い思いのシュプールを描くと、小屋である。ペアーレイクハッ トはレインジャーの小屋で、一般の宿泊はない。周りをアルプス風の岩峰に囲まれた 瀟洒な山小屋だ。 小屋を過ぎると樹林帯だ。最終キャンプの場所はこの辺に予定していたが、皆の足は 下へ向いたまま。このまま後数時間下れば、ハイルートの旅は完成するのだと考える と、ここで泊るという主張にほとんど説得力はなかった。 雪の腐った樹林帯をわれわれはひたすら下りつづける。苔むしたセコイアの樹林は 結構長かったが、結果、2日分を1日で滑り降りてしまう。 16:35、一人の落伍者もなく9名はウルバートンの駐車場に残した懐かしいフォードの 前に滑り込んだ。 シエラハイルート、シエラバックカントリーツアーの最終目標と言われるコースに、 好天に恵まれ、僕たちはまんまと成功した。(北田啓郎、1999/1/11)BACK TO "Beyond Risk" PAGE(寄稿とお便りページの目次へ)
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