最近またクラッククライミングが流行っているらしい(全文掲載)
CRACK CLIMBING BACK
菊地 敏之 ガメラ
そういう話を聞いても、たまに城ガ崎でフレンズなどをじゃらつかせては変人扱いされていた私 などは、本当かなぁと思ってしまう。 だいたいクラックと言えば、一度でも経験して知っている人には「うんざり」という顔をされ、 ボルトプロテクションのフェースしか知らない世代からは前世紀の遺物というような目で見られ る。もうずいぶんと長い間、そういう境遇に甘んじてきたのではないだろうか。実際、5.11dの クラックを登ることは、5.12bのフェースをレッドポイントするより苦労する。労多くして得る こと少なければ人気がなくなるのも当然の理だ。 だが、この1、2年、状況はまたもや変わって来ているらしい。 最近キャンパーが減った小川山で、クレイジージャムがどうだ、イムジン河がどうだ、という話 が聞かれるようになり、カサブランカなどは空いている暇がないそうだ。 そう言えばこの夏は十数年ぶりで瑞牆山に通ったけれど、確かにあんな「忘れられた」ような岩 場にも毎週のようにクライマーが来ていた。数年前久しぶりに訪れた時は苔だらけで、まさに「 ツワモノどもが夢の跡」の面影を呈していた末端壁にだ。 ひところ-ちょっと信じられないだろうが-このクラックの豊富な、と言うよりクラックしかな い岩場に、毎週のように本当に強者どもが通い、ジャミングに明け暮れた時代があったのだ。 昔は・・・などという話をするつもりは決してないのだが、その頃フリークライミングといえば イコール、クラッククライミングだった。80年代初頭に日本にフリークライミングがもたらされ た時の大もとがヨセミテだったことを考えれば当然と言えなくもない。しかし今から思うに、当 時「フリークライミング」としてクライマー達に衝撃をもって伝えられたものは、単にムーブや グレードと言ったスポーツとしての面白さだけではなく、むしろ「フリー」という考え方そのも のだったのではないだろうか。何故フリー? 如何にフリー? そしてその何たるかを伝えてく れるものが、当時、クラッククライミングだったような気がするのだ。 かくして小川山や城ガ崎は「クラックができる岩場」ということで脚光を浴び、日本の代表的な フリークライミングエリアへと発展して行ったわけだ。今でもその当時の代表的なルート、例え ばイムジン河や蜘蛛の糸、あるいは赤道ルーフ、プレッシャーなどを登ると、その内容の豊かさ に感心してしまう。 クラックの魅力とは一口で言えば、地球が作り出した岩をその形状に合せて利用し、安全の確保 (プロテクション)から何からすべて自分の力だけで克服して登ることにある。ジャミングがう まく効いた時、また貧弱なプロテクションに身を任せている時、クライマーはまさに自然に同化 していることを感じる。よく言われる「自然との一体化」という東洋的な思想をここまで具現化 できる遊びはそうザラにはない。究極のクライミングがフリーソロだというのも大いに肯ける話 だ。 さて、自分が好きなものだからついうわついた賛美になってしまったが、再びクラックを登ろう とする人が多くなったということは、やはりいつの時代もクライミングにとってそうした精神性 は重要な要素なのだろうかと思う。クライミングの楽しさというのは、単に体を動かすスポーツ 的なもの以上に、有機的な自然と密接な交渉を持てるということにある。それはクラックに限ら ずフェースでも、またアルパインクライミングでも同じことだ。なんだかんだ言ってもフリーク ライミングもまた「山登り」の一部なのだ。それぞれのルートをただの数字としてではなく一つ の存在としてとらえ、自然が差し出すリスクも同時に受け止めなくてはならない。だがそうして 、力だけではいかんともし難いそのコシャクな岩の割れ目を克服した時、クライミングの幅はき っと大きく広がっていくことだろう。(菊池敏之)
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