WHAT'S FOR,ARE YOU SKIING ?
よく、「テレマークってどんな遊び?」とか「テレマークは何ができるの?」と聞か れることがある。クロカンのようでもあり、アルペンのようでもあるこの遊びを一言で言 い表わすのは至難のワザであると思う。 そもそも現代におけるクロカンとアルペンはテレマークを母とし、各々の得意とする 部分を育ててきた子供であるのだから、各々の分野の視点だけで判断しようとしても考え る者の都合に合わせ結論を導き出してしまうことになるだろう。 さて、そのテレマークは現代においても母であったときのように変わらずにきたかと いうと、そうとも言えないようだ。現代のテレマークは、1970年代にアメリカにて新しく 生まれ変わったと言った方が良いだろう。 初めは、スキー場という名の「囚われた物質消費社会」の中から自由を求め野山へと 歩きだした人々によって、スキー技術史の大きな山の底から見つけだされた。その頃のテ レマークは、クロカンでの滑降手段の一つとしてパラレル・ターンとともに使われていた ようだ。 道具は、ダブルキャンバーのスキーにエッヂが付いた、一般にはヘビーツーリング用 と呼ばれているクロカンのスキーでおこなわれていた。今でもテレマークとして売られて いるスキーの中にはダブルキャンバーのものもあるが、もともとはクロカンの分野のもの だったのである。最近ではシングルキャンバーのスキーが主流となり、ダブルキャンバー のスキーを目にすることが少なくなった。 シングルキャンバーのスキーが世に出てきた背景には、テレマークの遊び方が歩行中 心から滑降中心へと変わってきたことがあると思われる。一度はスキー場を離れた人々が なぜかスキー場に舞い戻り、マウンテンパーカーにロングスパッツという出立ちでテレマ ーク・レースを始めたことがその変化の発端ではなかったかと思われる。これにより、テ レマークはクロカン的世界からアルペン的世界へとその流れを変えてゆくことになった。 レースだけを見れば、そこには歩行することができる必要性はなく、より滑走性や回 転性のみが求められることになる。スキーは徐々にその幅を広げ始め、ブーツは固く高く なってゆく。しかし、その歩みが止められた時があった。ある年のアメリカでのレースに 、それまでにはなかったとてつもなく幅の広いスキーをはいたレーサーが参加した。役員 達は考え込んだ。そして、「スキーの最大幅は73㎜」という何も根拠のないレース・ルー ルが一晩でできた。後に、この勝手な即席ルールがスキー製造メーカーを悩ませることに なったが、テレマークがテレマークとしてその世界を今まで広げられたことには大きく役 に立ったと思われる。 しかし、この話も「今までは……」としか言えなくなってしまった。というのも、当 時はとてつもなく広いと思われていたスキーも今では細いほうの部類に入ってしまい、周 りを見渡せば「超幅広ろスキー」が乱舞する世界になった。そして、この流れを加速する ように、レースのルールからも幅の規則が消えようとしている。 レースが盛んになるにつれ、人々の欲求はよりアルペン的テレマークの世界へと向い てゆくことになった。スピードへの興味が増し、危ない斜面へも挑戦する人々があらわれ る。彼らは、「可能性」という耳触りの良い旗をかかげ、どのよな状況下においても滑り を確実にコントロールできるような道具を求め始めた。目新しいことが利益につながるメ ーカーたちも、それに応えるかのように流れに乗り始めた。それにともないテレマークの 道具たちも、必然的にアルペン的な容姿を持ち始めることになり、それは誰にも感じられ たように過ぎ去った歴史が繰り返されているようにも見えた。 しかし、現代のテレマークの世界には滑走すること以外にも大きな魅力があるようで アルペン的遊び方を求める一方、クロカン的遊び方も広げながら「テレマークスキー」と いう独自の文化を作り上げているようだ。 ただし、日本においてはその限りではないかもしれない。というのも、他の国、特に テレマークが盛んな国では、それ以上にクロカンを楽しんでいる人口が多く、これがテレ マークの世界を支える大きな土台となっている。残念ながら、我が国においてはクロカン が普及しているといえるほどの状況ではなく、日本のテレマークの世界は脆弱な土台の上 に建てられた家のようなものといわざるをえない。それ故に、情報という波風によって揺 れ動き、消滅してしまう可能性もあるだろう。 日本においてテレマークがその世界を広げひとつの文化として根付くためには、テレ マークを楽しみたいと思っている我々がより大きな視野と柔軟な考えを持ち、「なぜテレ マークなのか?」と自問自答しながら育ててゆくことが大切だと思われる。何故なら、テ レマークはアルペンやクロカンと比べられるためにあるのではなく、我々にもっと多くの ことを気づかせてくれるために蘇ったのだから……。
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