SHIELD EL CAPTAIN
ヨセミテエルキャプシールド
麦谷水郷
シールドという名の由来は、そのルート上部の形状がのっぺりとして楯に似ていることからきている。ルー ト核心部もその切り立った楯の部分にあり、否が応でも露出感に身をさらしながら、困難な登攀を強いられる。 まったくすばらしいところに、すばらしいピッチがあるものだ、と感心してしまうルートである。 17日。 マンモステラスまでのフィックス工作のため、ぼくと相棒の佐々木大輔はようやく重い腰を上げた。ヨセミテに 来て、早くも2週間がたっていた。 シールドのオリジナルルートはマンモステラスから始まる。それまではサラテと同じラインをたどるのだが 、ぼくらは果敢にも(無謀にも)、アブミなしのフリーで行こうと試みた。つまり、Free・Blast(10P、5・1 1b)である。 結果は、予想していたとおり、A0・Blastと化した。2人とも5・10cまではオンサイトでこなしつつも 、3ピッチ目の5・11bトラバース、5ピッチ目の5・11bスラブではまったく歯が立たず、すんなりとA0が 炸裂した。ともあれ、本来の目標はフィックスなので、楽しむことができたことに満足。 18・19日は準備にいそしんだ。足りないギアと、1週間分の食料の買い出し。もちろん、酒を買うのも忘れ ない。カリフォルニアワイン6㍑、バドワイザー12缶、ウイスキーとどっさり買いこむ。酒はビッグウォールを のんびり、ご気楽にやるには必須アイテムである。そう、ぼくらがめざすのはハーディングスタイルなのだ。 重いホールバッグ 20日。いよいよ垂直の世界に出発。しかし酒でパンパンに膨れあがったホールバッグはなかなかぼくらを前 に進ませてくれない。結局、荷揚げは1人ではびくともしないので、2人対ホールバッグの綱引き大会となった 。綱引き大会は1ピッチに1時間で進行し、マンモステラスに着いたころには12時を回っていた。 荷揚げで疲れ果てたぼくは、マンモステラスでばったり倒れて昼寝したい衝動を抑えつつ、さっそくエイド クライミングにとりかかった。ぼくらは3ピッチ交代で行こうと決めていて、最初はぼくの番だった。しかしA 1だからとなめてかかったピッチも、スモールストッパーを駆使せねばならず、予想以上に手こずらされた。ま だ慣れていないせいもあり、この日は結局、2ピッチと半分しか延ばせず、思惑どおり(?)のハーディングスタ イルとなってしまった。もちろん夜にはワインをしこたま飲むのも忘れない。 21日。昨日残した半ピッチの仕事を消化するため、登りづらいチムニーをひいひい言いながら登っていると 、2ピッチ先にいる先行パーティーが落石をおこした。20吋テレビほどの岩は、そのままチムニーを伝ってきて 、ぼくの肩をかすめて落ちていった。先行パーティーは「ソーリー」などとにこやかに謝っているが、あんなの が当たっていたら冗談ではすまされない。気をとり直して、再びチムニーと格闘していると、今度は壁の左手に いるJolly Rogerの連中が「ラーク、ラーク」と叫びまくる。何かと思って振り向いてみると、ホールバッグが 宙を舞っているではないか。何でも降ってくるエル・キャピタンの恐ろしさを改めて実感した。 昨日のぼくと同じように、まだエイドクライミングに体がなじまない佐々木のリードは時間がかかり、この 日も3ピッチと半分しか進めなかった。しかしぼくらの基本方針は、のほほんと楽しむことにある。むしろシー ルドルーフの真下で、落石を心配せずに宴会を開けることに満足する。 トリプルクラック 22日。朝一番、シールドルーフの5㍍空中ブランコ。しかし、ボルトがしっかり打たれているので、心おき なく堪能できる。むしろ問題はルーフを越えてからにあった。ルーフを抜けると、そこはクラックというべきク ラックがないフェース状岩壁。5㍍ほど先にボルトを確認できるが、それにはチョンボ棒を使っても届くはずが ない。「ここで落ちたら、まちがいなくルーフ下の空中に投げ出されるなー」と思いながらも、覚悟を決めて、 ストッパーの半掛けに乗り移る。続いてスカイフック。アブミの最上段に立ちこみ、震える手でチョンボ棒をボ ルトに引っかけた。 フリーで登ったら楽しそうなコーナーを抜け、いよいよ核心部である楯にさしかかる。20ピッチ目は「The Groove」と呼ばれる箇所で、のっぺりとした壁にフレアーしたヘアクラックが一直線に延びている。ルート図で はA3とあるこのピッチは、回収できないでいる残置のラープ、コパーヘッドが豊富で、リードする佐々木はす いすい、ためらいもなく登っていった。 続くA3のきれいな3本線「Triple Cracks」はぼくのリードであった。順番はもう変則的になっている。T he Grooveと同じように残置が並んでいるのを期待していたのだが、残念ながらこちらはきれいにクリーニング されているようだ。もとはヘアクラックだったこの箇所も、今ではピトンスカーが並んでしまっている。そのピ トンスカーにオフセットナッツ、エイリアン、半分に切ったアングルと、あらゆるギアを総動員して、パズルを 組み立てるかのようにセットしていく。ビッグウォールは作業である。要は手順に従って前に進みさえすればよ いのだ、と自分に言い聞かせながら、下を覗かないように黙々と作業をこなす。とはいえ終了点のボルトにクリ ップしたときは「ほっー」と、安堵のため息。ようやく下を覗けるようになったぼくは、自分の今した仕事を眺 め、満足感に浸った。 墜落 23日。核心部のA3は昨日終わらせていた。だから何の躊躇もなく、朝一の22ピッチ目リードを受け持った 。A2にしてはやけに悪いなー、と思いながらピトンスカーにセットしたトランゴに乗りながら、ロストアロー を打とうとした瞬間……しっかりとテストしたはずのトランゴが何の前触れもなく、はずれた。目の前の光景が ビデオの早送り映像のように流れる。気がつくと、逆さまになった状態で、ビレイしていた佐々木のすぐ横にい た。8㍍のフォール。大胆になってあまりランナーをとらないでいた。残置ラープのワイヤーもちぎれている。 セルフビレイをとって、深呼吸するが、心臓はバクバクいって止まらない。ビレイしていた佐々木も動揺してい るようだ。 しばらくして動悸はおさまり、登り返してはみるが、臆病風に吹かれて動きがぎこちなくなり、ぜんぜん作 業がはかどらない。「だめだ、交代して」ついに情けないひとことを出してしまう。結局、この日はチキンヘッ ドレッジまで、3ピッチ全部佐々木にリードしてもらうはめになった。夜、レッジでひとりぼくは、ビール片手 にピスタチオの殻を投げつけながら、しょぼくれていた。 24日。残すところあと6ピッチ。ご気楽に登ってきたぼくらも、今日は頂上に抜けたいと思っていた。だけ ども臆病風はまだ吹きやまない。昨日のトラウマで、ピトンスカーにカムをセットしてもどうも信用できないで いた。しだいにA1ですら怖じ気づく自分にいらだちを覚え、「ちくしょう、ちくしょう」を連発。半狂乱にな りつつも、怒りをぶつけることで恐怖心をごまかされ、作業を続けることができた。 最終2ピッチは、ビッグウォール用シューズをはいているということでぼくに任された。ギアの引っかかる やっかいなチムニーで「ちくしょう」、ランナウトを強いられるスラブで「ちくしょう」とがむしゃらに登りつ める。だんだんと傾斜がゆるくなり、猿から人へ、手を使わずに、二本足で歩くことができるようになる。垂直 の世界からの解放。完登できたことを喜びつつも、いつもの感想……「もう二度とビッグウォールなんてやるも のか」。 http://www.asahi-net.or.jp/~BA8K-ITU/
BACK TO "Beyond Risk" PAGE(寄稿とお便りページの目次へ)
BACK TO TOP PAGE