気分はボニントン

北見康雄(詩人)

PHOTO BY K-ITO
 


 岩登りは好きだが、のぼせあがるほどでもない。
 酒飲みの友人に何人か山好きがいて、夏の北アルプスや冬の八ガ岳などに連れていっ
 てもらった。3000メートル近い山の稜線をゆっくり歩いているとなんだか気分が
 大きくなってきて、天上から下界を見下ろすとこんな気持ちになるものだろうか、と
 思った。物を書くという仕事がなぜか空しいことではないか、と思ったのもそんなと
 きだった。
 冬の八ガ岳では、そんな気分がさらに増幅された覚えがある。夏とは異なる引き締
まった空気のなかにいる自分がひとまわり大きくなったような気がしたものだ。
 自然のなかにいると人間が小さくみえるとよくいわれるが、それとは逆の感想だ。
 酒を飲むと気持ちが大きくなるものだが、それとも異なる。
 イギリスの登山家ボニントンの生写真をみたことがある。どこかヒマラヤの山を登
りにいく途中か帰りに撮ったもので、限りなく澄んだ青空と氷の高峰をバックにス
キーストックをついて立っている記念写真だった。ヒゲぼうぼうで、薄汚れたジャ
ケットを着ていたが、なぜかとても偉大な男のようにみえた。
 人間はこういうことをするのが本当なんだな、格好いいんだな、と無精に思った覚
えがある。こういうこと、とはなにかよくわからなかったが、少なくとも、澄んだ青
空と高い峰の見えるあたりを歩くことが、人間が本来やるべきなにかに近い、と思っ
たのにちがいない。しかも、着ているものや身だしなみなんかは、どーでもいい、と
も思ったのにちがいない。パソコンにむかってどうでもよいかもしれないザレゴトを
書いているのはボニントンのやっていることとは対極にあるものだ、とそのときは
思ったはずなのだが…。

 10月のはじめ、山登りの若い友人、西宮雄太と北アルプスの剣岳のむかった。室堂
から別山乗越までのぼると、視界に剣岳の大きな山塊が青空といっしょに飛びこんで
きた。風が冷たい。
「明日までもつかな」西宮が言う。いま天気がよいのはありがたいが、秋の好天は長くは続かない。明日は念願の剣岳の岩登りをするのだからこのまま続いてほしいものだ。
剣沢小屋には3時くらいに着いた。未明に東京を車ででてきたのだから早いものだ。
小屋は空いていた。暖かい談話室で山のビデオをみてくつろぐ。
小屋の主人に聞くと、ひさしぶりの好天らしい。
「今年は雪がすくないので、長次郎谷も、平蔵谷も登れない」という。
そうなると八ツ峰上半の縦走は難しいね、6峰のクライミングも無理だ。このあたり
に詳しい西宮が言う。
登れるのは、剣岳の本峰の南壁か源治郎尾根の1峰の成城か名大ルート、ということ
になる。
「成城ルートへいこうよ」私が提案する。このあたりではちょと難しいルートだ。
「北見さんの憧れのルートだから。そうしましょう」あっさりと西宮がいってくれ
る。かれは学生時代に山のクラブで何度かこのあたりのクライミングを経験している
という。
西の空が赤い。明日も天気はもちそうだ。美味しい夕食をいただき、早々の就寝。

 夜明け前に、風がガラス窓を叩いた。外はガス。小雨も舞っているようだ。5時半に
 朝御飯をいただき、6時半には出発。「これからよくなりますから」主人の言葉に半
 信半疑でガスの中をでる。
成城ルートへは、剣沢をさらに下り、源治郎尾根を登りかえさなければならない。ガ
スがはれてきて、やがて朝日が顔をだし、高い稜線が秋の色に輝きだす。主人のいう
とおりだった。
目指す成城ルートが前方に見える。
源治郎尾根にたどりつくのに、大きな雪渓をわたる。表面にクレバスが走っていて、
忍び足だ。
急な尾根を岩やねじれたマツの木を手がかりによじ登る。ジャングルジムのような登
りがおわって、顕著な尾根をいくようになり、暖かい日射しがうれしい。目の下に剣
沢の雪渓と紅葉の山肌がひろがる。「お、いいね」「絶景だあ」などと言い合いなが
ら息をきらしながら登っていくと、いつのまにか源治郎尾根1峰の頂上がみえてくる。
「登り過ぎたみたいだ」西宮が立ち止まっていう。
クライミングルートへ行く脇道を見のがしたらしい。おそるおそる、登ってきた急な
岩場を下り、脇道を探す。あまり踏まれていない脇道を発見。夏の天気が悪かったか
らか、今年は人があまり来ていないのかもしれない。ヤブをかきわけ登って行くと頭
上に大きく、成城ルートのある源治郎尾根1峰の壁が覆いかぶさってくる。
「どこが成城ルートだ?」
「たしか…」西宮もあてにならない。ルート図をだして、あーだ、こーだ、と検討する。
多分あれだろうと検討をつけて、早速クライミングの身支度。

 登攀用具を身につけてヘルメットをかぶると、気分がひきしまる。日陰のせいもあっ
て、身震いがでる。
「北見さん、寒いの? 震えているよ」
「武者震いだよ」くわえタバコでこたえる。
1P目は私がとりつく。出だしは緊張するものだ。慎重に登る。フリークライミングの
ゲレンデにくらべると高山のクライミングルートは、浮き石があったり、草が生えて
いたりして、コンディションはいまいちだ。小さな手がかりなど、ボロっと崩れてし
まうこともある。プロテクションも、ハーケンや古いボルトなどが主で、安心できな
い。いわゆる本ちゃんといわれる、高山のロッククライミングでは基本的に、落ちな
い、クライミングを心がけなかければならない。
できるだけ、しっかりしたホールドを手がかり、足掛かりにして、3点支持を守って
いくのがよい。これが、私の持論だ。万が一、3点のうちひとつがはずれても、なん
とか落ちずに持ちこたえることができるだろうから。右か、左か、と迷っていると、
目の前のひとかかえもある、岩がグラグラしていることに気がつく。それに触れない
ようにして慎重にのりこすと、枯れたダケカンバのはえるテラス着いた。
つぎに、西宮がスムースに登ってきて、私の持っているギヤを受け取るとそのまま、
つぎの2ピッチ目へと登攀を継続する。スラブ状の岩壁を左上へと登っていくのが
ルートらしい。10メートルほどロープをのばして傾斜がきつくなったところで動き
が止まる。迷っているらしい。登りかけては戻る、を2、3度くりかえし、「ボルト
がない…」と言っている。安全確保のボルトが適当な間隔でないと怖いものだ。それ
を探しているのだが、ないものはない。
最後には思い切って突っ込む。「ひえー。こえー」といいながら、その後は、確実に
ロープをのばしていく。50メートルいっぱいに伸び切ったところで、ビレイオフの声。
フォローする。先ほどの難所はなんなく越えられた。リードとフォローとでは、怖さ
が格段にちがう。フォロー、セカンドともいうが、なら墜落しても、その距離はたか
がしれているのだから。
2ピッチ目を登り切って、西宮のところへ辿り着くと、ハイマツの幹を支点にし窮屈
なテラスで体を縮めている。「正式のテラスではないみたいだ」50メートルいっぱ
いにのばしたので、本来の区切りである確保支点を見のがしてしまったのかもしれない。
「気がつかなかったけれど」
ここまで来てしまったからには、ここからのぼっていかなければならない。ボルトを
探す。4、5メートル上にハーケンがある。

 今度はわたしがリードして、そこを目指す。さらに右手にのぼると次のボルトを発
見。本来のルートに戻れたようだ。カラビナにクリップして直上すると、居心地のよ
さそなテラスにでる。どうやらここが3ピッチめのテラスらしい。ロープがまだ半分
以上あるのでそのまま、上へ上へと登っていく。
なんと、ハイマツがあらわれ始めた。もう岩壁の核心部分は終わりらしい。ホッとし
てハイマツをつかみ、さらに登ると、傾斜がおちて、ま新しいボルトとハーケンが打
たれたテラスにでる。50メートルロープで、めいっぱい登ってきたので、本来4
ピッチに区切るところを3ピッチで区切って登ってしまった、ということらしい。
「思い出した。前に登ったときも、どれが成城ルートがはっきりとは分からなかった
んだ」西宮はぼやきながらフォローしてくる。大きな岩壁にはいろいろなルートがあ
り、さらに迷ったクライマーがハーケンを打ちたしたりするので、正しいルートを追
うのが困難なことがある。
「ま、いいか。おおむねこんなもんかな」
最後の比較的かんたんなピッチを、やはり50メートルいっぱいに登ると、1峰の頂
上直下10メートル、源治郎尾根の踏み跡にでることができた。
「お、やったね」とザックをおろし、身体中にまとわりついている登攀用具をはずす。
 風がさわやかだ。あいかわらず天気はよい。ぽかぽか陽気だ。秋のこんな高い山で
シャツ1枚でいられるというのはうれしい。岩峰の頭にたつ。正面には剣岳の本峰が
おおきい。おもわず両手を差し出したい気分だ。ボニントンの生写真が脳裏をかすめ
た。ワープロにむかっている私ではなく、身体をつかって岩壁を登ることができた私
がここにいる。すごい、と思う。気分はボニントンだ。

 理由もなく、きょうは偉大な一日だった、ような気がしてくる。自分までもいくらか
偉大になったようなこころもちがしないでもない。 岩登りしたあと、そんな気持ち
になるのは、大いなる錯覚だろう。とはいえ、岩登りのあとの強い満足感は、数ある
山登りのスタイルのなかでも、いちばんのものではないか。そんな気持ちを抱かせる
のは、垂直の岩場を登るという普通の人なら頼まれてもすることのない非日常的なこ
とを、おれはヤッタンダゼー、という自己満足からうまれるのだろう。もちろん、肉
体的にも筋力を酷使し、エンドロフィーだかアドレナリンだか、を体いっぱいにみな
ぎらせたせいもある。そういえば、ランナーも、走り続けているうちに、自分が、な
ににも増して偉大ななにものか、であるという幻覚をいだくことが往々にしてある、
というレポートを読んだ覚えがある。 


  

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