トロピカルなクライミング
MEMBER 野村 仁 & YOSIKO 1998年2月 * Phra Nang(プラナン)岬は、石灰岩の岩壁と2つの岩峰、その間を埋める砂洲で構成 されている。かつての海底がそのまま隆起して、地上に姿を現したような不思議な岩 脈が立ち並ぶ。その独特の地形のために周辺から隔絶されており、小さなテイルボー トでしか上陸することができない。半島内に車が走る道路はなく、自転車も持ち込ま れていない。耕作地、商店、病院、警察のようなものもいっさいなく、おそらく定住 している人もいない。リゾートらしい観光施設を全く排除しているのか、あるいはま だ大資本が入っていない秘境のリゾートというべきか。リゾート客の大半は欧米人で 、泳いだり、浜に寝転んだり、本を読んだり、男女でベタベタしたり、そして一部の 人はクライミングをしてすごしている。 上陸した日の夕方になると、ぼくたちは、もう何をするあてもない気分になった。 7a(5.11cくらい)が1本登れればいいなー、と思っていたが、それも淡い目的にすぎな かった。夕方まで何時間しか登れないから、今日はここをやろうとか、どういうステ ップで目標に近づこうとか、そういう思考方法にならない。定職のないフルタイムク ライマーのように、無限に時間を使える気分になってくる。気温と湿度、空と海の色 、異邦の人々の視線としぐさ、いろいろなものが、この時間の流れに無抵抗に従えと いうかのようだ。 * プラナン岬には4つのビーチがある。テイルボートが発着するメインビーチがライ レイ・ウエストビーチ、そこから半島中央部を徒歩5分強で横断すると、ライレイ・イ ーストビーチに至る。沖に珊瑚礁があるのか、ウエストビーチは白砂の明るい浜であ る。対するイーストビーチのほうはマングローブが茂って汚いため、浜で遊んでいる 人をほとんど見かけない。 半島南端には、この地で最も美しいというプラナンビーチがある。この一角は残念 なことに高級ホテルに占有され、プラナンビーチはそのプライベートビーチとなって いる。イーストビーチからジャングルのトレールをたどればプラナンビーチに出られ るが、ぼくたちは一度も行かなかった。プーケット、ピーピー島と、プラナンの高級 ホテルをセットにした日本からのパックツアーが販売されていることを、あとで知っ た。 ともあれ、横幅にして数百メートル程度の小さな半島に、城ガ崎全域にも匹敵する ほどのクライミングエリアが拓かれているわけである。1998年2月現在のエリア数は 32、ルート数は約250本、最高グレードは8c(5.14a)ということだ。 ぼくたちはプラナンに5日間いたのだが、クライミングをするのにこれは最少限ギ リギリの日数だったようだ。1日目にはイーストビーチ側のメインエリアを回り、滞 在2日目にちょっとしたトラブルに巻き込まれて、丸2日間クライミングが全くできな かった。残る2日間のうち、1日でどうしてもトンサイベイとタイワンド・ウォールを 回らなければならない。主要なクライミングエリアの写真をひととおり撮って、最低 限のガイドをできる材料を集めるのが今回の目的だった。 ●ワン・ツー・スリー、ムイタイ プラナンの難ルートを落とそうとか、ルート開拓をしようなどという目標があるの でなかったら、最初に足馴らしに行くのは、「1,2,3」(ワン・ツー・スリー)エリアがふ さわしいだろう。ライレイ・イーストビーチからすぐのところにその壁が見え、1日中 クライマーがいないことはない人気エリアである。すぐ右隣にはムイタイ・エリアが あり、こちらは少しグレードが高い。 ワン・ツー・スリーには、フレンチグレード5クラス(5.6~5.8)が6本、ムイタイには 5が1本ある。クライミングの基本的作法を知っていれば、石灰岩のクライミングが初 めての人でも取り付けるルートである。続く6a~6a+(5.9~5.10b)は両エリア合わせ て4本、6b~6b+(5.10c~d)はぐっと多く12本を数える。ここまでがテン・クライマー の楽しめる範囲、石灰岩クライミングの入門クラスということになる。 ワン・ツー・スリーとムイタイに来ているのは、まず現地のインストラクターに案内 されるお客が多数。それ以外のフリーの人でも、初級クラスのテンクライマーが多い ようだった。こういう人たちのなかでは、6aや6bをきれいに登れば、けっこうやるじ ゃないか、と見えてしまう。5、6a、6bのルートはどれもおもしろく、初見で登れば けっこう難しい。なかでも5クラスはインストラクターが商売に使うルートだから、 一般クライマーは彼らのじゃまをしないように気をつかったほうがいい。 ワン・ツー・スリーとムイタイでは、いつも混んでいて順番待ちが長くなってしまう 。そこで、ガンガン登りたい人は午前中の早い時間に来ること。そして昼食後には移 動するのが賢い選択だろう。ワン・ツー・スリーから少し奥(東側)の山に入れば5つの エリアが連続していて、このうちぼくたちが行ったのは「ダンカンズ・ブート」エリア 。薄暗いジャングルの中にあってロケーションは数段落ちるが、ルートは相変わらず おもしろそうだ。この周辺にはヒドンワールド、ジャングルジム、ザ・キープ、キャ ッスル・ウォールといった小エリアが集まっている。 ●ロウタイド・ウォール 干潮時(お昼から午後)になれば東側の岩礁を歩いて、ロウタイド・ウォールに行け る。ここは海岸の真ん中にある独立したエリアで、クラビーから船でやってくると、 青空をバックに白い壁を登るクライマーの姿がカッコよく望めるところ。隠れた人気 エリアのようである。すぐ奥にはジュラシック・パーク、フエコ・ウォールのエリアが 続いている。ルートは6aからあるが、5.10aとはいってもかぶりがきついし、どれも 初見になるから、それなりの実力が必要。だれかがリードしないとトップロープはセ ットできない。6aを余裕で登れないグループは、ただ海を眺めて帰ってくることにな るかもしれない。 ぼくたちはいろいろあって、最終日にここへ来た。エリア名ともなったロウタイド (5b)は、1本目のクリップ前に核心があり、その上はワイドクラックもどきの登り方 をさせられる。ぼくにとっては怖いルートだった。1本くらいはイレブンと、左端の Narsilion (6c+)をねらっていたのだが、これは次々に人が取り付いて登れなかった 。 ●ダムズ・キッチン、トンサイ 半島北端の小さなビーチがトンサイベイである。ここにはクライミングをする人し か来ない。とても静かで周囲の景色は美しく、まさにクライマー天国だ。 午後になって壁に日が当たると暑くて登れないので、このエリアは早朝から午前中 に来るのが定番である。トラブル続きでふらふらになっていたぼくたちは、10時すぎ にバンガローを出て、アプローチのトレイルを少し迷い、壁に着いたのは11時を回っ ていた。ライレイ・ウエストビーチから行くと、トンサイの手前でダムズキッチンを 通る。ここは長い前傾壁のエリアで7~8クラスが中心。8aと8bが各2本ずつ、8cが1本 ある。トポから判断するならば、世界でも最難のレベルにちがいない。しかし、ここ にいた人たちは6c+で各駅停車だったり、6bにトップロープをかけて遊ぶグループだ った。自分のグレードがどうであっても、自分なりのマイペースで臆せずにクライミ ングを楽しんでいる。これは、プラナンを登る外国人クライマーの様子を見ていつも 感じたことだった。だいじなのは登るグレードではない。心からクライミングを楽し むことだ。 ダムズ・キッチンに荷物を置き、隣のトンサイに行く。まずタイ人の若者グループ に声をかけて、Lal Bab(7a+)らしいルートを撮らせてもらった。隣のかなりうまい西 洋人グループは、仲間うちの初心者らしいのが身体中を震わせながら Cafe Andaman (7b)にトライ中。これも撮影させてもらい、ルート名を教えてもらった。トンサイの 下部エリアは今風のどっかぶりルーフで、最もやさしいクラスで7a(1本だけ6a+があ る)、中心は7b~7c、8クラスが6本ある。左端から登る上部エリアには6クラスもある が、メインはなんといっても下部ルーフ、はっきりいって5.12クライマーのエリアで ある。 ベースから徒歩20分ほどの美しいビーチに、5.12ルートがズラリと並ぶエリアがあ るのだから、そのスジの人にはこたえられない。二子山がご近所にあるようなもので ある。トンサイは日本人クライマーに一番人気のエリアというのだが、どうやら日本 から来るのは5.12クラスの人が多いらしく、なんとも偏った状況である。5.10編集者 の視点によって、5.10クライマーでも十分に遊べることを報告するのが、Rock&Snow 編集部の意図する点であるだろう。 ●タイワンド・ウォール もうひとがんばりと、タイワンド・ウォールへ登る。ライレイ・ウエストビーチの眼 前にそびえる心なしか傾いた巨大な岩塔。その中央にはケイブが口を開いており、ト ンネルがプラナンビーチへ抜けているという。 このエリアは、なんといっても3~4ピッチで頂上へ抜けられるマルチピッチが売り なのだが、2~3ピッチ目には7a~7bの核心部が集中している。したがって、5.11後半 から5.12の力がない人には King & I (4P:6b/6a/7b+/7a)の2ピッチ目までしか登れ ない。多くの人はこのルートの2ピッチ目まで登って高度感を楽しみ、ラペルで下降 して満足しているようだ。あとは1ピッチ目の各ルート(多数の6a~7a)を登ったり、 Twenty Kilos of Steel (4)からトンネルを通ってプラナンビーチへ抜けるケイブツ アーを楽しむ人もいる。これらは、インストラクターが客をガイドするお決まりのコ ースにもなっている。 壁の基部から5.5くらいのトラバースで King & I の取付に登ると、ライレイビー チの全域を見渡せるビューポイントである。景色を眺め、写真を撮ってからタイワン ド・ウォールを後にした。 * プラナンでどうしても行きたいエリアをあげるなら、これまであげたワン・ツー・ス リー、ムイタイ、トンサイ、タイワンド・ウォールの4つになるだろう。年末年始のた とえば9日間の休みで訪れた場合、往復の日数を除けば、5日間プラナンでクライミン グができる。最初の2日間は足馴らしにワン・ツー・スリーとムイタイ、次の2日間は、 7クラスに挑戦できるならトンサイへ、アルパインの登り方を知っているクライマー ならタイワンド・ウォールへ行ってもいい。最後の日には、自分の一番好きなエリア で課題に取り組むか、クライミングエリアを結んでハイキングしてもいいし、もちろ ん何もせずにゴロゴロしてもいい。1日早くプラナンを発って、ピーピー島経由でプ ーケットへ向かうのも楽しいだろう。 理想をいうなら、本当は2週間くらいの日程で、10日間以上プラナンで登りたい。 夢のようなクライミング経験になるだろうが、それは大多数のサラリーマンクライマ ーには不可能なことである。これまでは学生やフルタイムクライマー、それに近い人 たちがプラナンに来ていただろうし、以前『岩と雪』で紹介されたプラナンも、そう いう人たちのための、さらには5.11後半から5.12以上の人たちが読んで役立つプラナ ンのガイドであった。いわゆる「上級クライマー」といわれる人たちのなかにも、アメ リカは行った、オーストラリアやフランスにも行ったけど、まだタイは行っていない 、今度行きたいな…、という人はけっこう多いらしい。 そんな別世界の話ではなくて、ぼくの本心としては、会社と家庭に縛られるサラリ ーマン、家族サービスや親戚づきあいの合間をぬってクライミングを維持している人 たち、その結果、5.10からなかなかレベルアップが難しいというクライマーにこそ、 日常から逃げ出して南国のクライミングリゾートに行ってみてほしい。帰ってくれば 、もっとのびのびとした感覚で、再びクライミングを続ける気持ちになれることだろ う。 ○記録 2/4 成田(航空機約6時間)-バンコク 2/5 バンコク(航空機1時間)-プーケット(ワゴンタクシー3時間)-アオナン(ボート 15分)-ライレイ・ウエストビーチ(徒歩5分)-ヤヤ・バンガロー滞在 2/ 6 ムイタイ、ワン・ツー・スリー、ダンカンズ・ブート Giggerig for Climbing 5, 12m (1,2,3) Karaoke 6a, 10m (ダンカンズブート) Valentine 6a+, 12m (ムイタイ) Nuat Hin 6a+, 15m (ムイタイ) 2/ 7 ライレイ(ボート50分)-クラビー 2/ 8 クラビー(ボート50分)-ライレイ 2/ 9 ダムズキッチン、トンサイ、タイワンド・ウォール 2/10 ワン・ツー・スリー、ロータイド・ウォール We Sad 6a+, 25m (1,2,3) Make a Way 6b, 27m (1,2,3) Low Tide(1P) 6b, 20m (ロータイド・ウォール) 2/11 ライレイ(ボート50分)-クラビー(ワゴンタクシー2時間)-プーケット(航空機 1時間)-バンコク 2/12 バンコク(航空機約6時間)-成田 (注) 2/7~8はトラブルのためクラビーに行かなくてはならず、結局、今回は2日間 しかクライミングできなかった。また登り直しに行こう。