MERA-PEAK, NEPAL

ヒマラヤのトレッキングピーク、6467メートルであれこれ遊ぶ

歩いては下らない、メラピークの下山の仕方


MERA PEAK

 

member
kurokawa,
ito tadao
morihikari
ito kisya

 5月のある土曜日、小川山でクライミングしたとき。テントの脇で焚き火を囲み
 ながらヒマラヤの話しがでた。「ヒマラヤでスキーしたいね」「おれはス、スノ
 ーボードがいいな」「ぼ、ぼくはパラパントで飛んでみたい」それがきっかけだ
 った。ヒマラヤとはいえやることはふだん日本の山でやっていることだ。だが僕
 らにも登れてそんなことができる山があるのか。トレッキングパーミットで比較
 的かんたんに登れる山としてネパールのクンブ山域にあるメラピーク(6476
 メートル)があがった。エベレストがある地域だ。世界中の山好きが毎シーズン
 、何グループもトライしているポピュラーな山。「秋に行こう。”歩いて頂上か
 ら下るのはイヤだ登山隊”としよう」話はきまった。知り合いにカトマンズのガ
 イド会社を紹介してもらい、ファックスをいれた。反応がはやく、僕らのやりた
 いことをすぐ理解してくれた。 女性も何人か参加するような話もあったが、結
 局、男4人のグループとなった。やっぱりね、とみんななぜか納得したのだった
 。 カトマンズで全員が顔をあわせたのは10月15日、翌日、ガイド会社にい
 って打ち合わせをすませ、前金をはらい、ひとまずわれわれはルクラに飛んだ。
 26日の出発日までに高所順応をしておきたいので、ゴーキョ方面へトレッキン
 グにでかけることにする。三々五々とでかけナムチェバザールで遊んだりして、
 各自のプランで順応に励む。再びルクラに集合したのは24日。みんな標高50
 00メートル以上まで登ってきたという。元気だ。25日にサーダーと呼ばれる
 ガイドのリーダーと顔合わせした。いわゆるシェルパだ。26日、出発の日。サ
 ーダーとアシスタントのシェルパ2名、コックやポーター約10人が集まってき
 た。みんなでメラピークのベースキャンプへと出発する。テント、食料、登山用
 具など全部運んでくれる。食事も作ってくれる。BCまではいわゆる大名トレッキ
 ングだ。お金をはらっただけのことはある。いつも貧乏トレッキングや登山しか
 したことのないメンバーは満足げだ。出発前の高所順応トレッキングが効いて、
 メラのBCまでの5日間は全員快調、走り出すほどの元気。このアプローチは有
 名トレッキングルートからはずれているので静かできれいだった。30日にはBC
 設営。これも全部シェルパがやってくれる。ここにいるかぎりメシつき昼寝つき
 でいられるのだが、ここからメラピークの頂上までは自分達ですべてやらなけれ
 ばならない。ガイド会社とそういう契約をしたからだ。契約しだいではガイドが
 ロープで頂上まで引っ張っていてくれるそうだ。BCまではほとんど雪はなくこの
 上からいきなり氷河の世界がひろがる。翌日、ハイキャンプ設営。若手二人は自
 力でテントをかつぎあげるが、中年系の二人は、アシスタントシェルパの『なん
 でも運んであげますよ、イヒヒ』という甘い言葉にひかれ、「テント運んで」「
 あ、スキーもお願い」といきなりお願いします連発状態となる。エキストラ料金
 でやってくれるのだ。お金を積めば人間も背負子で頂上までも運んでくれそうだ
 。この5000メートルのBCまで空身同然でやってきた中年系にとって、550
 0メートルのハイキャンプまでの荷揚げは辛いのだ。ハイキャンプ設営のあと、
 さらに上部へ登り、スキーやボードで念願の初滑降する。Cはメラ峠からパラパン
 トで初飛行。スキーなどデポして、いったんBCにもどる。翌日は休養日。11月
 2日。全員でハイキャンプに進駐。ラーメンを食べ、酒をのみ、たばこをふかす
 。天気は連日好天が続いている。あすも大丈夫だろう。11月3日。登頂の日。
 4時起き、大快晴のなか6457メートルの頂上をめざす。標高差1000メー
 トル、水平距離もけっこう長い。気合いをいれないと頂上まで届かない。若手二
 人は頂上までスキーとボードを担ぎ上げる。中年系Cは体調悪く途中で下山。同じ
 く中年系Iはスキーの重さに耐えられず途中にスキーをデポ、登頂を目指す。1
 2時には3人がメラの頂きにいた。メラは展望の山だ。エベレスト、マカルー、
 カンチ、チョオユーなど8000メートルのジャイアンツが取り囲む。すぐスキ
 ーとボードが滑降を開始する。絵になるシーンだ。下りは早い。ヘロヘロ状態に
 なってハイキャンプに戻ると、サーダーとシェルパが迎えにきてくれていた。あ
 りがとう。ありがとうついでに撤収もたのんでしまう(すみません)。BCまでス
 キーとボードでいっきに戻る。祝杯。翌日、BC撤収。危険な近道ルート、ザツル
 テン越えをとり、わずか2日でルクラに戻ってしまった。スキーに関していえば
 雪の上で滑った日数はわずか2日、雪は悪いし、胃は壊れるしで、高くついたス
 キートリップだった。とはいえメンバーの満足度もかなり高い。
 データ 
 メラピ
 ークのトレッキングパーミットはカトマンズでとれる。自信があればガイドレス
 、ポーターレスの登山も可能。現地ガイド会社に頼めばガイド、ポーターなどま
 とめて面倒みてくれるのでかんたん。日本の専門旅行社でもこまかくアレンジし
 てくれる。ヤマケイ月刊誌などによく宣伝がでています。



  

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