伊藤忠男(CHU)
メララからのフライト
発表する機会がなかったのでちょっと古い話になってしまいますが、 1995年 の秋に ネパ-ルヒマラヤのクンブ地方東南端にあるトレッキング・ピ-クとしては割 に高く、思い の外アプロ-チのあるメラピ-ク(6746m)に、3人の陽気で屈強 な山仲間と出かけま した。 一人はボ-ダ-で2人はテレマ-カ-ですから、私がパラを使うとなれば、もうゲテモン 遠征と言われても何も言い返せません。メラピ-クで スキ-(アルペン)の使われた遠征は すでに少なくはありませんが、テレマ-ク、ボ-ドは多分初めてでしょう。パラの記録では高橋 ダンプさんが何年か前に数人の仲間と試みていますが強風で断念したと聞きました。また、スイ ス人がトップからテイクオフ 、西へ25km走らせてルクラのエア-ストリップにランディ ングして警察に捕まっ たとかなんとか、真偽のほども分からない噂も耳にしました。 メラピ-クは、少なくともメララ(5540mの峠)を経由する北面ノ-マルル-ト から は一見して登りたくなるような山ではありません。メララからピ-ク手前の肩ま で、ダラダ ラの斜面がうんざりするほど延々と伸びています。傾斜が緩く距離が長い ということは、容 易ということではありません。降雪や雪面の状態によっては、クレ パスやセラックとの危険な 触を長い時間に渡って警戒しなければなりません。 僕たちは幸運でした。この時期にしてはたちの悪いクレバスも少なく、ほとんどラッセルも せずに歩けたのですから。パラにとっても傾斜のない長い距離はやっかいな問題を孕んでいま す。ランディング できる地点までの長さを考えると初級機が良いといった従来の”山飛び”セ オリ-は 通用しません。ある程度距離が出せて、しかもフライトコ-スをこの時季に、とき に卓越する偏西風に向ってとれるくらいの性能と技術が要求されます。そんな訳で機体 は翼面 積をタイトなサイズとしたコンペ機としました。 支配的な偏西風はおおよそ朝の8時を境に、急速に下界に影響しはじめます。往のキャラバ ンですれ違った帰りのトレッカ-の話から頂上が凪るのは1週間から10日に一度あるかない かといった程度。山でのフライトは、今日ゲレンデでだれもが飛んでいる上限風速の半分でも 躊躇 します。パラを山で使う場合、一番難しいのは気持ちの持ちようかもしれません。集 中 しなければいけないのに、飛べない確率の方が高いのですから。ボ-ドもテレマ-クも首尾良 く完全なピ-クからの滑降を手中にしましたが、僕は体 調を崩してしまい、メララからの滑空 にとどまりました。 10/31午前9時メララ北端の階段状の氷河からテイクオフしました。目前に門のように 立ちはだかる2つの切り立った岩稜の間を通過するときに小さなロ-タに多少振られましたが 、すぐにモ レ-ンから吹き上げてくるリッジで高度が上がりました。BC上空でゆっくり旋 回し ていると8m/sゲインの強いサマ-ルが当たりましたが西に背が向くと急速に流さ れる ようになりました。すでに偏西風が強まってきていたのです。届けばタクナックまで伸ばすつ もりでしたが、ディルカルカをすぎ、メラ西壁を回り込んだところでま すます前へ出なくな り、予め考えていた標高4500mの広大な河原に向かって気の遠くなるほど高度処理を繰り 返しました。ランドするまで翌端を折ったり、シンク域を探したり、フルアクセルで走らせた り、身につけたテク全開で、上空の偏西風域へ 一気に吸い上げられるような強烈なサ-マルと の格闘を強いられたのでした。 ( 3/7/97記) 追:僕たちがBCを去った数日後、ベンガル湾に発生したサイクロンの影響で忌まわ しい季 節外れの大量降雪がこの地方を襲い、多くの方が亡くなられました。ご冥福を 祈ります。合 掌。