CLIMBING TRIP FROM DENALI TO ANDES
マッキンリーからペルーアンデスへ
99年5月から8月、ぼくのクライミングトリップ
花谷泰広
信州大学山岳会
1996年秋、ぼくは信州大学山岳会のヒマラヤ登山隊の一員として、未踏峰ラ トナチュリに登らせてもらった。まだ大学2年生だった当時、冬山もたったワンシー ズンしか経験していなかった。そんな未熟者がヒマラヤに通用するわけがなく、登頂 はさせてもらったが、ルート工作はおろか荷揚げも満足にできず、喜びよりも悔しさ が残った遠征だった。だからつぎは自分の力で、できれば現役の部員だけでどこか海 外の山に登ろうと思っていた。そういう思いを抱いていたときに会に入ってきたのが 今回のパートナーの大木君だった。彼は入会当時からモチベーションが高く、ぼくと 同じように海外の山にあこがれを抱いていた。そして99年に海外の山に登ろうと意気 投合し、その目標をアラスカのマッキンリーとペルーアンデスにした。 けじめ の山 マッキンリー(6194m)は日本人によく名前が通っている山の1つでは ないだろうか。ぼくのなかでマッキンリーという山は、北米大陸最高峰としてではな く、あの植村直己を飲みこんだ山として存在している。中学1年のとき、長尾三郎氏 の著書である『マッキンリーに死す』という本を読んだ。その読書感想文に「いつか ぼくがマッキンリーに登って、植村さんの遺体を見つける」と書いた。ぼくも植村直 己にあこがれ、山にのめりこんでしまったひとりなのだ。だからマッキンリーはぼく にとってけじめのような山なのだ。 5月24日、ついにわれわれの旅が始まった。 ロス経由でアラスカ入りをしたので、ずいぶん遠く感じた。 25・26日は、アンカ レッジで買い物をしたり、隊荷の整理などに追われた。アンカレッジには登山用品店 がいくつかあり、品揃えがよく安い。スーパーマーケットもたくさんあるので日本か ら大量に食料を持ちこむ必要もない。やや高いが、日本食も手に入る。大量の荷物を 前にうんざりする。でも、26日中になんとか準備を整えることができた。 5月27 日、いよいよマッキンリーの登山基地タルキートナに向かう。入山手続きをして、レ ンジャーから細かい注意事項を聞く。われわれの入山日は翌日だったので、航空会社 (ダグ・ギーティング)のバンクハウスで最後の準備をしていた。するとなんだか今 日飛び立てるような雰囲気があったので、期待していたら本当に飛び立ってしまった 。不意打ちをくらった入山だったが、とにかく早く登りたかったのでうれしかった。 翌5月28日から行動を開始する。スキーをはきそりをつけて出発。最近はスキー よりもスノーシューが主流のようだ。5月は天気がよくなかったらしく、下山してく る人はみんな「地獄だった」と言っていた。このルートのじつに3分の2の距離に当 たるえんえんと続く氷河歩き。ときには吹雪かれ寒い日もあれば、昼間の太陽の暑さ にうんざりする日もあった。底なしのクレバスも恐ろしい。途中高所順応の失敗もあ り、ベースキャンプ(4300m)に着いたのは6月3日だった。 ベースにはい ろいろな国からの遠征隊のテントがたくさんあり、まるでゴールデンウイークの涸沢 のようだ。フォーレイカーやハンターをはじめとする山々も見ることができてとても 美しい。みんなとてもフレンドリーで思い思いのスタイルで登山を楽しんでいた。下 山する人から、食料や燃料も分けてもらえる。雰囲気は申し分ないのだが、とにかく 寒かった。着いた翌朝、いきなりマイナス30度Cまで下がった。でも日が当たるよう になるとどんどん気温が上がり、そのうちテントのなかにいられなくなる。この気温 差にはずいぶんと苦しめられた。一度高所順応で失敗をしているので、ベースから上 はとても慎重に時間をかけて順応に取り組んだ。悪天のため、予定より2日遅れの6 月8日、アタック態勢が整った。 6月9日、いよいよハイキャンプ(5200m )に向けての登高が始まった。天気はそれほどよくなかったが、われわれのように停 滞をしていた人たちがいっせいに登り始めた。デポしておいた荷物が加わると、急に 重さを感じた。ゆっくり、しかし確実に高度をかせぐ。空中散歩道を5時間くらいで ハイキャンプ着。お茶をガブ飲みする。やはり空気が薄くしんどい。「ここでおれが あこがれた偉大な冒険家の言葉をそのまま用いて、今日の日記を短いながら終える。 何が何でもマッキンリー登るぞ!」(6月9日の日記より) 6月10日、9時45分 出発。快調なペースで歩き始めた。デナリパスまでは日が当たらず風も強かったので 寒かった。アーチディアコンズタワーを越えると眼前にマッキンリー南峰がそびえて いた。フットボールフィールドと呼ばれる広い雪原を越え急な登りを登りきると頂上 に続く稜線に出る。右側は南壁がはるか下まで落ちている。だんだん顔がゆるんでく る。15時10分、ふたり並んでついにマッキンリーの頂上に立つ。天気がよく、360 度の大パノラマが広がっていた。交互に写真を撮り、会の歌「春寂寥」を肩を組んで 歌う。植村さんが歩んだ道をついに歩むことができたんだ。疲れた身体に鞭を打って 、ハイキャンプに戻ったのが17時20分。くたくたになった。 翌日まだだるかった が下りなければならない。テントを撤収して下山準備をする。天気が下り坂だったの で、早く下りなければならなかった。ベースキャンプに戻り、デポしていたものを回 収する。われわれも下山に不用な食料をだれかにあげようとしたが、貧弱な食料しか なかったので、だれももらってくれなかった。仕方がないのですべて担ぎおろす。荷 が重すぎて登るよりもつらい下りだった。6月12日に無事タルキートナに戻った。 下山後われわれはそれぞれの旅をして楽しんだ。そして6月26日にアンカレッジで 合流して、つぎの目的地である南米ペルーアンデスに向かった。 アンデスへ アラスカからロスを経由してペルーに入国した。英語がほとんど通じず、スペイン 語ができないわれわれは途方に暮れた。いきあたりばったりという感じでバス会社に 行きなんとかその日のうちにブランカ山群の登山基地ワラスに着いた。 ワラスに はわれわれのほかにも日本人クライマーが何人か来ていて、いろいろ教えてもらうこ とができた。ほとんど何の情報もなしで乗りこんでしまったため、しばらくは情報収 集に時間を費やす。今年は例年にない異常気象らしく、乾期なのに雨が降る日もあっ た。 マッキンリー登頂からすでに1カ月以上たっていたので、まずゆっくりと順 応することにして、最初の目的をイシンカ谷にあるウルス(5495m)、イシンカ (5530m)、トクヤラフ(6032m)とした。 7月4日、ワラス出発。イ シンカ谷のいちばん奥にあるコリィオンという村でブーロ(ロバ)とアリエロ(ロバ 使い)を雇い、その日のうちにベース(4300m)入りする。どうも天気がすっき りせず、夕方には雨が降ってきた。翌日ウルスに登った。6日間の予定で入山したが 、ぼくの調子がイマイチで、おまけにひどい下痢になってしまい、たった3日で下山 した。天気がよくなかったのも事実だが、情けないデビュー登山だった。 しかし 、われわれはついていた。下山した日から天気が急によくなってきたのだ。ワラスで 体調を戻しながら、つぎの山を考えた。その結果、天気が落ち着いているうちに当初 最後に登る予定だったアルパマヨ(5947m)に向かうことにした。アルパマヨは 北面の整った三角錐、そして南西面のアイスフルートの美しさから世界最美の山と呼 ばれている。日本にいるときからその姿を一度は目に焼きつけたいと思っていた。そ してもちろん登りたいと思っていた。 7月11日、ワラスを出る。コレクティーボ (乗合バス)でカラスという町を経てサンタクルス谷の入り口の村カシャパンパまで 行く。サンタクルス谷は、トレッキングルートとしても有名で、われわれのほかにも たくさんの人がいた。カシャパンパでブーロとアリエロを雇いいざ出発。さまざまな 花が咲いていてとても美しい。サボテンの多さにも驚いた。谷は奥に行けば行くほど 開けてきて、神秘的な風景を見せてくれる。この日はイチコーチャというところで1 泊して、翌日ベースキャンプ入りした。ベースはアルパマヨをはじめとする秀峰をた くさん望むことができる天国だ。早い時間に着いたので、少し荷揚げをしたかったの だが、泥棒が多いらしくあきらめた。山の美しさとは対照的な現実だ。 7月13日 、ハイキャンプに向けて登る。ケルンをたよりにモレーンを進んで氷河に乗り、アル パマヨとキタラフの間のコルをめざす。氷河の上部は今にも崩れそうなセラック帯の なかを進む。傾斜は大したことないが、荷物が重いので緊張した。のちにこのセラッ クは崩壊し、1人が死亡した。しかし、そこを通過してコルに出るとまさにそこにア ルパマヨの南西壁を望むことができた。やはり本物は迫力が違う。夕方には壁が真っ 赤に染まった。ぼくはその美しさを忘れることはないだろう。 7月14日、4時30 分に起きたが、すでに1パーティーが取付にいた。完全に出遅れてしまった。あわて て準備をして6時20分に出発。取付に着いたがやはりわれわれが最後のようだ。取付 では、不安と緊張でいっぱいだった。なぜなら、このようなダブルアックスで長い雪 壁を登るのは初めてだったからだ。しかし、アックスを一度振るとそのような気持ち はどこかにいってしまい、喜びがこみ上げてきた。こういう登攀をずっとやりたいと 思っていた。それがやっとできたという喜びだ。先行パーティーがたくさんいたので 、落氷がすさまじくなかなか前進できなかったが、ゆっくりと確実に進んでいった。1 2時55分終了。頂上をめざしたが、雪の状態が悪く断念した。不思議だが悔しくなかっ た。どちらかというと満ち足りていた。でも、いつまでもそんな気持ちでいるわけに はいかない。これから下降しなければならないのだ。不安定な支点で懸垂下降をする 。胃が痛い。取付に戻ってきたとき、急に疲れが押し寄せてきた。フラフラしながら ハイキャンプに向かう。ハイキャンプでわれわれを迎えてくれたのはアルパインクラ ブFOSのふたりだった。飲み物とかをいただきようやく落ち着くことができた。 翌日、下山の途につく。2日かけてワラスに戻った。このあとぼくは激しい下痢に 襲われ、医者に1週間安静にするよう言い渡された。登りたいのに登れない悶々とし た日々を過ごした。この休養の間に大きな変化があった。旅好きの大木君がボリビア に旅することになったのだ。しかし、ぼくには山しか見えていなかった。不安はあっ たが自分の力を試したくなり、単独で登山を続けることにした。 ひとりで山 へ向かう はっきりいって不安だった。日本でも数えるほどしかやったことがない 単独登山。それをいきなり海外でやってしまってもいいのだろうか。しかし、こうす ることで今までの殻を破り、成長できると信じていた。 アルパマヨからしばらく 時間がたっていたので、まずはリハビリをかねて、ピスコ(5752m)とチョピカ ルキ(6345m)に登ることにした。 7月25日、ヤンガヌコ谷にあるピスコの ベースに向かう。コレクティーボでユンガイを経由してベースの入り口まで行くこと ができる。ヤンガヌコ湖のブルーが美しい。大木君が前日ボリビアに旅立ったので、 今日からはすべてひとりでやらなくてはならない。気が張っているせいか重いはずの 荷が軽く感じる。昼過ぎにベース着。明日のルートの確認をして早めに寝る。 7 月26日、緊張しているせいか、ほとんど眠れなかった。1時起床。アルパマヨの反省 もあり、早めに出発することにした。2時30分出発。月明かりのおかげで、ヘッドラ ンプなしでも行動できた。モレーンのトラバースで少し迷ったが、なんとかハイキャ ンプに着いた。ハイキャンプには数パーティーがいて、すでに出発している人もいた 。雪が出てきたのでアイゼンをつけるとさらに気が引き締まった。トレースをはずさ ないよう慎重に歩くがところどころにクレバスが開いていたので緊張した。夜明け前 の寒さはきびしかった。最後に雪壁を越えて6時50分山頂に立つ。正面にはチャクラ ラフの南壁がそびえ立ち、振り返るとワンドイの大きさに圧倒された。まさに展望の 山だった。 ベースに戻って時間を見るとまだ9時30分だったので、今日のうちに チョピカルキのベースまで行くことにした。荷物をまとめて下山する。道路に出たが コレクティーボがなかなか来なかった。そこで、冗談半分でヒッチハイクを試みたら なんと止まってくれた。登山口のすぐ手前まで乗せてもらい、ずいぶん助かった。こ の日はベースで泊まり、翌日モレーンキャンプに上がった。 7月28日1時起床。 起きてテントから顔を出すと雲が多くて山が見えない。おまけにひどく身体がだるい 。あきらめてもう一度眠りかけたが、今日を逃すともう登れないような気がしたので 意を決して起きる。2時30分出発。歩きだしてはみたが、やはり身体が重い。しかし 、月の明かりをたよりに氷河を登っていく。ときどき現われるクレバスはだいぶん広 がっていて怖かった。ハイキャンプにはいくつかのテントがあり、十数人のパーティ ーが出発したところだった。彼らを抜いてどんどん登る。ハイキャンプの上にある急 な雪壁を越えると稜線に出た。そこで初めて休憩をとった。しばらくはただ歩くだけ だったが、6000mを過ぎたあたりから急な雪壁が連続して出てくるようになった 。頂上直下でウルタ谷側に出るが、そこから急に風が強くなり、気温もぐっと下がっ てきた。手足の感覚がなくなっていく。ダミーの頂上をいくつか越えて6時50分、よ うやく本当の頂上に着いた。思わず叫んでしまった。写真を撮って風の弱いところに 行き、腹に物を入れ水分をとってさっさと下山を始めた。滑落しないよう慎重に下っ ていった。つらい下りだったが、9時40分、無事にキャンプに戻った。登頂の勢いも あって今日中にワラスに戻ってしまおうと思い、荷をまとめて下山することにした。 この日はペルーの独立記念日でワラスの町も人が多くとてもにぎやかだった。 こ の2つの山でスピードに自信をもつことができた。そこでつぎはペルー最高峰のワス カラン(6768m)を、1日目にモレーンキャンプに上がり、2日目に頂上を往復 し、3日目にワラスに戻るという計画で登ることにした。同じ日程で単独行の榎本さ んが入山するので、2日目以外はいっしょに行動することにした。 8月1日、ワ ラスを出る。コレクティーボでワスカランの登山口ムーショという村に行く。ふたり で1頭のブーロと1人のアリエロを雇う。チェックポストで入山の手続きをして出発 。前の山の疲れが残っているせいか調子が悪い。3時間ほどでベースキャンプ(42 00m)に着いた。シーズンはもうすぐ終わりなのだが、やはりこの山は人気が高く 、まだたくさんの人がいた。われわれは4600mのモレーンキャンプにテントを張 り、早々に眠りにつき明日に備えた。 翌日零時にテントを出る。やけに暖かい。 氷河に達するまでに少し道に迷ったが、そんなに時間のロスはなかった。トレースを はずさないように登る。1時30分、キャンプ1通過。ここから先はどんどん傾斜が強 くなる。また、上部のセラックが崩壊したときにそれをまともにくらうやばい場所を 通らなければならない。ガルガンタ(6000m)で初めて休憩をとった。ガルガン タから上が今回の核心だ。事前の情報ではクレバスがかなり広がっているらしいが、 行ってみなければわからない。頂上がはるか遠くにあるように感じた。どんどん気温 が下がってきた。問題のクレバスの下にはセラックが立ちはだかっていて、底の見え ないクレバスがすぐ下にあった。セラックをダブルアックスで越えクレバスの縁に立 つ。飛び越えたかったが反対側は壁になっていたのでそれもできそうになかった。こ こを越えたら頂上に立てるが、はたして無事下山できるだろうか。急に怖くなってき た。5分くらい考えた。そして、両手にアックスを握って倒れるようにして反対側に アックスを決めてつぎに両足を移してそこを越えた。息が上がり苦しかった。でもこ れで頂上に立てるんだ。そこから先は寒さとの戦いだった。西側を登っているのでま ったく日が当たらない。寒さで関節が堅くなってきた。手足の感覚もほとんどなく、 しびれてきた。おまけに眠たい。頂上に立てば太陽に当たることができるので、とに かく早く頂上に立ちたかった。つらく、長い登りだった。今までこんなにつらかった 登りはなかった。でも終わりは必ずやってくるものだ。7時30分、ついにワスカラン の頂に立った。不思議だがうれしくなかった。むしろちゃんと下りられるのか不安だ った。写真を撮ってすぐに下山を始めた。気がつけばアイゼンがはずれている。相当 くたばっているようだ。途中で榎本さんとすれ違い、やっと気持ちにも余裕がでてき た。問題のクレバスにはガイドパーティーのフィックスロープがかかっていたので問 題なかった。ガルガンタに戻ってきてようやく登ったという喜びがわいてきた。フラ フラになって12時過ぎにモレーンキャンプに戻ってきた。もうこれ以上動けなかった 。翌日ふたりでワラスに戻った。 ワスカランのあとアルテソンラフ(6025m )に行こうとしたが、すでにぼくのモチベーションが切れてしまっていた。それに、 ワスカランでけっこう怖い思いをしたのでこれ以上無理をしたら死んでしまうと思っ た。悔しかったが、今回はこのくらいが限界のようだ。でも帰国までにはまだ時間が あったので、フライトを変更してロスに戻り、ヨセミテで1週間クライミングを楽し んだ。 ぼくの記録ははっきりいって大したことはない。どれもノーマルルートか らの登攀だったし、困難な山でもなかった。日本人で同じ時期にいた人たちのなかに すごい登攀をした人がいるというのも知っている。でも、現時点でやれるだけのこと はやったつもりだ。今後ぼくも彼らのようなすばらしい登攀ができるよう努力しよう 。 マッキンリーについて [登山のシーズン] 5~7月。7月でもかなりクレバス が開く。われわれは5月の下旬に入山したが、そのころがベストシーズンだろう。 [登山許可・入山料について] 登山申請は入山の2カ月前までにデナリ国立公園にす ることが義務づけられている。申請用紙はデナリ国立公園からFAXで送ってもらえ る。同時に、登山の手引き書を送ってもらうとよい(日本語版があるので助かる)。 ソロの場合は特別な申請用紙があるらしい。 登山料は1人150ドル。50ドルは 予約金として申請と同時に前払いする。クレジットカードを用いて支払うと便利だ。 [その他] レンジャーステーションでは地形図やガイドブックが数多く販売されて いるので、情報収集に役立った。バリエーションルートの案内も詳しく載っていた。 スキーはアンカレッジの登山用品店でレンタルできる(1人150ドル)。ただ し、シール別に用意しなければならないので注意。スノーシューはタルキートナの飛 行機会社でもレンタルできる。 アンデスの山について [登山シーズン] 5月 下旬~8月中旬が乾期で晴天の日が多く、登山に適している。だが年によって状況は 異なるので、こればかりは運である。ちなみに今回は7月になってようやく天気が落 ち着いた。 [クライミングについて] ありがたいことに、ここでの登山は基本的に 登山申請や登山料は必要としない。だから、思いきって登山に励むことができるのだ 。ただ近年は温暖化の影響か、氷河が後退していたり、あるべきところに雪がなかっ たりして登攀がきわめて困難になってしまったピークがたくさんある。ガイドブック のみを信用せずに、現地で積極的に情報を集めるべきだ。注意しなければならないこ とに、キャンプ地での盗難がある。不安ならテント番を雇ったほうがよい。ワラス近 郊のモンテレーには温泉があり、疲れた身体を癒すことができる。治安がよくなって きたので、今後この山群にはより多くの人が訪れることになるだろう。
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