毎年行く人も多いようだ
雷鳥沢を滑る
11月、やっぱり立山はパフパフだった! 1995年11月25日 skiing at 97-11-24 暖かい。冬がなかなかやってこない。が。例年初滑りの舞台となる北アルプス立山、今年 もそこはパウダー天国だった。 勤労感謝の前日、11月22日の情報では、ホテル立山の周辺は積雪2センチ! 例年なら軽く 2メートルはあるはずだ。この時点で日本中のスキーヤーが「今年はヤメだ」と立山行を断 念したに違いない。 ところが、KIM同人の3人は「雪は必ず来る」と(ムボーにも)その翌日には立 山へと向かったのだった。立山の室堂駅で、ここのヌシ杉原整氏に出会う。「きのうの夜 30センチ降ったヨ」 「ワッ、ヤッター」とビルの外へ走り出て見ると、いちおう山は白い。が、大岩がゴロゴ ロしていてパウダースキーどころの話ではない。 スキーをかついでトボトボと雷鳥平のテント場まで夏道を歩く。テントを建てたあと、 クロカンスキーとしゃれる。岩のない草地のスロープを探してようやく初滑り。ガッチ、 ガーッとスキーが石をこする度に泣きたい気持ちに襲われる。夜はゴシップ談義に花が咲く。 翌土曜日の26日も小雪の舞う中、スロープを求めてクロカン。昨夜のバチが当たったのか 、スキーをおもいっきり傷つける(クソーッ、もう板はボロボロだー)。この広い立山に 、スキーヤーは数人、スノーボーダーも数人、ボロボロの板を持ってみんな複雑な表情を みせている。名状しがたい初滑り風景ではある。みせている。名状しがたい初滑り風景で はある。 その日の午後になっていきなり吹雪となり、山は荒れに荒れ、雪は一晩中降り続く。未明 になってテントは完全に埋り、窒息寸前。ヘッドランプをたよりにヤケクソの除雪作業。 やっぱり雪はやってきたのだ。今ごろになって! 1メートルのパフパフパウダーをラッセルすることになる。必死の脱出行で、ようやく室 堂ターミナルヘ転がり込んだのは昼前だった。 (KIM同人/I) 1997年11月22ー24日 メンバー 五味、春水、矢野淳、由美、直子、汽車 22日 朝目を覚ますと、まさか、の雨音。昨日みたかぎりでは今年は雪が多い、とおもっていたの に、この雨で、溶けてしまうのでは。雪と雨では大違いだ。 雨具をつけて一人室堂山へ偵察に。称名川まで滑りくだる。ヒト登りして雷鳥荘へ戻る。3 時間の行程。 23日 朝から雪。後発を迎えに室堂へ。10時にダム方面からあがってきた。そのまま雷鳥荘へ向 かい、小屋前のゲレンデで何本か滑る。 24日 大きな移動性高気圧に覆われ、日本中好天というが、立山はいまいち。雷鳥沢を目指す。剣 御前手前で、雪も悪そうなので滑走開始。 快適な深い雪。写真を撮りながらくだる。 新着の BDの RESOLUTION180センチは極太だけあって、快調。同じく新着のスカルパ T2も足 にフィットして快適だ。 称名川に降り立つころには完璧に晴れ上がっていた。 杉原、中山、保科、関谷氏,四方氏,妙高岡田氏などに出あった。ボーダーも多く、にぎや かな立山の初滑りだった。 1998年11月21-23日 メンバー 五味,ヒロユキ、ユミ、こだま、つづき、清十郎、汽車、なべ、木俣、湘南ボードクラ ブなど 21日 朝五時ころ都内をでて10時の扇沢発のバスにのる。扇沢は積雪30センチ。室堂ターミナル からは吹雪のなか、よろよろと雷鳥沢まで小1時間。 先発、後発とも夕方には全員集合。吹雪のなかの行動でみくりが池の崖に落ちたもの3人、ス キーを失ったものひとり、と散々だった。この日はおとなしく温泉とお酒でくつろぐ。湘南の 不良たちはテント泊をあきらめ、自炊部屋にはいる。 22日 案に反して快晴の朝をむかえる。朝飯をたべ、有志6人が剣御前をめざす。 9時雷鳥平、10時過ぎにコルにつく。剣沢を滑りたかったが天候悪化のため雷鳥沢をくだ る。快適なパウダースキーイングが楽しめる。雪が降り始め、1時には帰荘。深夜までくつろ ぐ。 23日 吹雪きのなか室堂ターミナルへ向かう。930のバスにのり、三洛で昼飯、渋滞の中央道 を帰京。9時都内。 1999年11月21/23 21日 晴れ雲少々 全日雪少々 すでに前日に入っている人で、雷鳥沢は、ずたずた 、あちこち沢山シュプールが刻まれている。 雷鳥荘に寄って、昼出。なが尾根(雷 鳥沢の右側の曲がった長い尾根)へ。まだシュプール少ない。川を渡って、長いフラ ットな部分を沢の奥まで詰めて右手の沢から尾根に取り付く。ゆみさんぶっちぎり絶 好調、北田さん2番手、少し遅れてひろゆき、川崎さん足つって、遅れる。途中で、 水沢さんとエルベのテレマークグループおりてくる。ピーク下から写真を撮りながら すべる。沢を滑っては、トラバースしながら、結構長く滑れる。ひろゆき不調、なべ ちゃんように、カメラを向けられると、転んでしまう。途中で登ってきた妙テレ岡田 さん、小笠原さん、大学さん他10人位とあう。フラットな部分で、エルベの人が、 けがしてて、ヘリではこばれる。平山さんと会う。4時雷鳥荘。 22日 晴天 もうシュプールだらけで、行くところに困る。剣沢へ、向かう。夜遊び に来た平山さんもいっしょ。気温は低く、雪堅く凸凹でシールで登りにくい。御前小 屋から、剣沢を望む、シュプールは、あるものの、わりときれい。剣沢もまあまあす べりやすい。大石から、シールで剣御前の方へ、登りかえす。この辺は、天気の安定 した時に、限る。水沢さんが滑ってくる。ジグザグきって稜線に出る。剣をバックに 撮影。北田、白石不調 また、大石近くまで、滑って、登りかえす。雷鳥沢は、もう ボロボロ、トラバースしながら、室堂乗越へ回り込んで、滑る。雪悪い。剣沢で、も っと下の面を滑った水沢さんに追い付かれる。3時前?雷鳥荘 人数少なく、足並み も揃って行動、早い。 23日 曇り 次朗長 子作りスケジュールの為、朝立つ。昼ごろ扇沢、大町温泉、途 中食事、6時半帰宅 1999年11月29/30日 メンバー 松倉、川崎、汽車 月・火と立山へテレマークに行って来た。 室堂ターミナルの外は氷点下12度。深いガスに覆われ、視界は100 m足らず。風はさほど強くない。しかし、せっかくやってきたので室堂 山周辺を散策することにした。中腹まで登り、岩陰でツエルトビバーク のカットを撮る。ガスがさらに濃くなってきたので、早々に下山。 しかし、下山はなかなかたいへんだった。雪が深くとてもテレマーク ポジションはとれず、斜滑降・キックターンで下りてきた。 そんな途中、私の足元が突如ゆっくりとズレてきた。「あれれ」と思 う間もなく、腰がすとんと落ちた。何なんだ? はじめは何が起きてい るのかわからなかった。お尻は滑っていないのに、私はだんだん下へと 下へと流されているのだ。斜度はごく緩やかなため、歩く程にゆっくり だが、前を行っていた伊藤さんと川崎さんのいるところから左へ左へと 移動している。まるで魔法の絨毯に乗っているような感覚だった。 やっと事のしだいがわかった私は「ナダレ、ナダレ」と二回叫んだ。 川崎さんが「早く逃げないと」と叫ぶが、心が動転して立てない。そう しているうちに魔法の絨毯の流れは止まった。あわてて立ち上がると、 斜滑降で二人の元へと戻った。雪崩はごく小規模で私を乗せた厚さ20cm で6畳ほどの広さの層が10mほど横滑りしたといった感じだった。 そのときは不思議な感覚のほうが強く、怖さはなかったが、二人の元 へと戻ると急に恐怖感が湧いてきた。これがもっと急斜面だったら、助 かっていたかどうか・・・。そう思うと、現在進んでいる方角も間違っ ているように思えてならない。本来のコースよりずっと右の一ノ越から の谷方面へ向かっているように感じるのだ。伊藤さんに聞くと「大丈夫 だ」と言う。ここは経験豊かな伊藤さんを信じてついていくしかない。 しばらく行くと、夏道の柵に突き当たった。これを左へとたどれば室堂 ターミナルへと戻れると一安心。しかし、伊藤さんはそれを横切り、さ らに下っていく。 「逆に進んでいませんか?」 私が言うと、川崎さんもたぶんもっと左だと言う。そこで、伊藤さん が一人で偵察に行く。しばらくして帰ってくると、「大丈夫、向こうに ポールが見える」と言う。 「さすが伊藤さん」 私たちは胸をなでおろしついて行くと、真っ白な空間に高さ5mほど の直立した黒い影が浮かび上がった。下まで行くと、エビノシッポに覆 われた柱があった。 「室堂山荘のアンテナに間違いない」 川崎さんが言う。しかし、肝心の室堂山荘は見えない。伊藤さんが再 び偵察に行く。こんどはなかなか帰ってこない。 「遭難てのはすぐ近くまで来ていてたどり着けなくて起こるんだよ」 川崎さんが脅かすように笑う。 寒さに震えながら待っていると、突然、左後方から室堂ターミナルの エンジン音が響いてきた。伊藤さんも戻ってくると「ケルンがあり、み くりが平という案内があった」と告げた。これでおおまかな位置関係が はっきりした。再び、伊藤さんが音のしたほうへ偵察に行く。その間、 二人はシールを装着し登る準備。じきに伊藤さんが戻ってきて、頭の上 に腕で大きなマルを作りOKだと告げる。急いで登っていくと、山岳警 備隊の建物がぼんやりと黒い影を見せた。2時間あまりの今シーズン初 の雪中行だった。 松倉一夫/Kazuo Matsukura