Paragliding
040724Mt.Fuji
Flyer:F.Ito
Para: Up Bougie
No.:307th
Take off:3680m
Gain:80m
Time:39m
Total:69h21m
Attn:Good day
寄生火山と富士山からのフライト
念願のパイロット証をゲットしたのは1年半の後、正確に言うと、パラグライダースクールに入校してから17カ月かかっていた。スクールでは、その年齢にしては異例のスピード出世、とおだてられた。それほどこの期間、パラグライダーに集中したのも確かだった。これで世界中どこのパラグライダーエリアに行っても大いばりで飛ぶことができる、と喜んだのは言うまでもない。
スキーなどと異なり、パラグライダー場では、そこで空を飛ぼうとすると、この人は安全に飛行できる技術を持っています、と証明するものが必要とされる。それがパイロット証である。技術未熟の人が無闇に飛んで失敗してケガでもされたら困るからである。スキーの失敗なら転んだだけですむかもしれないが、空を飛ぶのに失敗すると致命的な事態になることが多いからだろう。
パイロット証がないと空を飛ぶことができないか、というと実はそういうわけでもない。そのような証明書が必要とされるのは管理されたパラグライダー場だけのことで、他人に迷惑をかけたり、他所の土地に勝手に入り込んだりしない限り、基本的に世界中どこをどう飛ぼうが構わないのがパラグライダーのよいところでもあるのだ。法律的には飛行中のパラグライダーは空中の浮遊物と定義されているらしい。法律的解釈では、ま、ゴミのようなものなのだ。
山のてっぺんにパラグライダーを持ち上げて、下山の方法として飛び降りる、というのは、20年ほど前、パラグライダーが誕生したときのスタイルだが、これは今でも脈脈と生きている伝統で、世界中のどこぞの山からどこへ飛び降りようと自由なのである。ボアバンは世界最高峰エベレストから飛んでいる。高橋和之はチョオユーから、アイガーから飛んでいる。人が鳥になる、強い想像力が夢を現実のものとしたのである。
おっと力が入ってしまった。それはさておき、パイロット証を手にして、パラグライダーを始めた当初の動機がふつふつと胸にわいてきた。そう、富士山の頂上から飛んでみたい、という願いだ。スキーでも滑り降りた、スノーボードでも下った。こんどはパラだ。
富士山の山腹を練習場のようにして飛んでいるパラグライダーのグループがあることは知っていた。いつだったか、5月の連休に、須走登山道の7合目までスキーにいったとき、パラグライダーが数機、目の下をふわふわと飛んでいるのを目撃している。 インターネットで調べてみると、サンデーパラグライダースクールという名前が浮上してきた。御殿場登山口や須走登山口のあたりを飛んでいる記録が発表されていた。
早速門をたたいて仲間に入れていただく。グループのリーダーというかスクールの校長先生は中村さんという同じくらいの年頃のプロのフライヤーだった。仕事というよりも半分趣味で空を飛んでいるように見えた。
「このあたりはよく飛んでいるよ」とのことだった。「富士山頂から、飛べないことはないと思うけど、うちの仲間ではまだ飛んだ者はいないんだ」とも教えてくれた。
秋のある日、富士山の中腹からのフライトにトライする。須走登山口の5合目に上がる。標高2000メートル、ここまで車で上がることができる。夏のハイシーズンには登山者でにぎわうところだが今は閑古鳥の世界。それにしてもよく晴れた、日本晴れのよき日である。新しいクラブの先輩二人と、パラグライダーを入れた大きなザックを背負って駐車場からしばし歩く。一帯は溶岩が砂礫化した山肌が広がる。溶岩砂でできた砂漠のようなところだから、樹木などはない。どこからでもパラグライダーで飛び立つことができる。
眼下には山中湖や須走の町、遠くには丹沢や箱根、伊豆、相模湾に浮かぶ大島も見える。このエリアのベテラン二人のやりように従って場所を選び、飛ぶ用意をする。二人はもう何度かこの富士山の2000m地点からのフライトを経験しているのだ。
ちょうどよい風が入ってきて、二人が順番にきれいに離陸する。ぼくも遅れないようにすぐテイクオフ。数歩歩くだけでふわりと機体が上がり、ぼくは青い空の中に上っていく。先行する二つの機体も青空に鮮やかな赤と白の機体を開いている。目的地は1000メートル下、距離5キロ、前方の霞の彼方にそれらしき広場がみえる。
風を切る音だけが聞こえる。動力を持たないパラグライダーだが、空気をはらんだ翼が空中を走ると大きな風の音を発する。時速は30キロから40キロにも達する。顔に当たる風は快いというよりも、痛いくらいだ。先行する2機の行くままに従う。足元には富士山の広い樹海が広がり、不思議なことに高層湿原のような広がりも見える。水の流れのない大きな峡谷が延びている。ヘアピンカーブを繰り返す自動車道の上を行く。車がおもちゃのように見える。
大きな河原の上にさしかかったとき突然下から熱風が上がてきてあおられるような突き上げがある。パラグライダーは大きくゆれて上昇を始める。それにあわせるように左手のコントロールを大きく引き、体を左側に傾ける。パラグライダーはゆっくりと左に旋回しながら上昇していく。そのままにしているとグライダーはひとまわり、ふたまわりと旋回を繰り返すことになる。360度ターン。おおきなループを描きながらどんどん上昇していくのだ。トンビと同じ、トンビ化である。先行の2機も同じことをやっている。パラグライダーから見る視界は広くて素晴らしい。左から右へパノラマが大きく移動する。その中に富士山そのものが入りこんでくる。巨体である。こんな大きな山だとは思わなかった。旋回を続ける。このまま回しつづけてどんどん上がっていったらどうなってしまうんだろう。
10分ほど360度ターンを繰り返す。目の回る空中の散歩である。さすがの熱上昇風も勢いが衰え機体は除除に降下を始める。先行機と同じように目的の広場に舞い降りたのは離陸してから1時間ほど。やったね、と先達と握手を交わす。僕の初めての富士山フライトは成功したのである。今回は標高2000メートルから1000メートルまで。富士山頂から飛ぶのなら、あと1700メートルほど上から飛べばよいということだ。可能性のない話ではない。
富士山に冬がやってくるのは早かった。とはいえ雪がきてもこのあたりは大雪にはならない。11月には2度ほど、御殿場登山口1700メートルくらいのところで飛んでみた。あたり一面の雪景色のなかでのフライトは新鮮なものだった。
12月から2月までは富士山は雪の中に閉ざされたが、3月に入ると南面の御殿場登山口は雪解けが早く、練習場と呼ばれる1500m付近で3月と4月、2回ほど飛ぶことができた。神々しいまでの霊峰を眺めながらのフライトは感激だった。
5月に入って、冬の間に考えていた計画を実行に移すことにした。
離陸する場所を除除に上げて頂上に近づけていくプランだ。途中まで登って途中からフライトすることを繰り返せば、フライトの練習にもなるだろうし、地形や風の様子もわかる。登りの体力増強のトレーニングにもなるはずだ。富士山頂上まで重荷を背負って登るのもこの作戦の重要なポイントなのである。
トライは何度になるかわからない。自分のスケジュールで動くことになるから人はあてにできない。登りも下りも一人で行動するのがよいだろう。。すべて自力でやることにした。
富士山は生きている火山だが、山腹にいくつもの寄生火山をもっている。有名なのが宝永山、小富士、二子山などだ。雪がとけた5月からそれぞれのピークから飛んでみる計画をたてた。
以下山頂フライトまでの経過を記す。
5月30日
二子山(二ツ塚)兄山からフライト。1400mからm1930までの登りだったがザックが重く背負いごこちも悪くきつかった。頂上につくと西風が強くガスも湧いてきた。ひどくならないうちにと慌てて飛び出したが、ガスの中に入りまったくのホワイトアウト。GPSを見ながら方向を修正したがうまくいかず、目的地とは遠く離れた河原に不時着。霧の中のフライトは危ないということを身をもって体験した。
6月5日
須走登山口朝7時出発。全装備を担いで800mほどブルトーザ道を登る。
いままであまりに装備が重かったので、いくつかの道具を軽量のものにかえた。ハーネスとザックをより軽くて使い心地のよいものに買い換え、グライダー本体は山岳フライト用の軽量で安全性の高い設計のものを用意した。緊急時用の予備パラシュートは3キロもある。これは状況によって持つ持たないを判断することにした。そのほかヘルメットやウエアなど細かい用具もグラム単位で軽量化を試みた。無駄を省くことで20キロ以上あった荷物を16キロくらいまで減量することができた。
3時間ほどで標高2800mに達する。風の様子をみて11時前に離陸。高く上がることはなかったが安定した風の中1700m地点に着地。夏の富士山は日の出とともに上昇風が湧きあがり乱気流が発生する。同時にガスもでてくる。富士山を飛ぶのなら日の出後の1時間くらい、大気が安定して視界が利くときに行うのがよいと判断する。
6月5日
上と同じ日の午後。小富士からのフライト。須走登山口からハイキングでいける小富士は景色がよくハイカーがときどきやってくる。ここも寄生火山である。山腹は無樹林で遠くからみるとスキー場のようだ。頂上からのフライトは難しいが50メートルほど降りたところに絶好の離陸場を発見。午後、風がよくなったのでそこからフライト。右手下の谷、グランドキャニオンという名所からすばらしい風が吹き上がってきて30分ほど空中浮遊を楽しむ。その後標高1000mの目的地に向かうが高度が足りず、1300m地点にある大きな河原に不時着する。
6月16日
全装備を持って富士山頂に登ってみることにする。富士宮口5合目登山口を5時にでる。もっと早くでたかったのだが起きられなかったのだ。頂上には4時間半でついた。予定通り登ることができたので一安心。西の風が7、8メートルくらい。あわよくば頂上からフライトとも思っていたがちょっと無理。お釜の周りを歩いて離陸地点を物色する。うろうろしているうちに風が強くなってガスも濃くなってきたので下山する。のんびり下って御殿場口コースの3000メートルまで下ったところで様子をみる。ちょうど宝永山の上部の山小屋の脇。御殿場口の駐車場がガスの切れ間から見えたので、飛ぶことにする。せーの、で出たが、いきなり上昇気流に持ち上げられ雲の中に入る。降下の操作をするが強い上昇風にあおられあたふた。ようやく雲中飛行から離脱して宝永山脇を飛んで右に左に大きく振りながら1800m地点の砂漠帯にランディングすることができた。日がでてからのフライトは乱気流に出くわす可能性が高いことを改めて知る。口の中がからからに乾いたフライトだった。
7月4日
インターネットの富士山頂の定時観測や韓国発の高層天気図がとても役にたつ。今年は風の強い日が多いようだ。梅雨明けが早く太平洋高気圧も強いのだが、高気圧が日本列島の東側にあって、ヘリの部分の強い西風がちょうど富士山のあたりに吹き込んでいる。頂上の風速は15mから25mという日が多いようだ。
富士山頂上からフライトするとなると、日の出前に頂上に着かなければならない。そのためには夜行登山がいいと考える。7月に入って山開きとなって恒例の富士山の大混雑が始まっている。
夜行登山のリハーサルを行う。深夜12時に富士宮口5合目出発。団体登山の行列といっしょに登って5時過ぎの日の出ぎりぎりに頂上へ着くことができた。眠い、眠い。案の定西風が強く、また頂上付近は大混雑。頂上の賑わいを眺めながら大休憩をとって、離陸地点を探しに白山岳まででかける。スキーで何度か下った吉田大沢が離陸するにはよい地形に見える。この日は持ち上げた装備をそっくりそのまま背負って下山。御殿場コースから、いままで一度も歩いたことのない宝永山経由富士の宮5合目口コースを歩いてみる。宝永火口を歩いてみて富士山は本当にいろいろな面をもっていることに驚く。富士山は素晴らしい山だ。ここを飛べることがうれしい。
7月17日
前前回宝永山脇の3000mから離陸したのでこんどはもっと上からのフライトにトライ。須走口5合目を6時に出発。ブルトーザ道を登り以前フライトした2800m地点を越えてさらに300m、3200m地点まで登る。この日は西風が強く、富士山を両側から回ってきた風が東面のこのあたりでぶつかりあうのか、乱れた風の流れになっている。2時間ほど様子をみてからあきらめて歩いて下ることにする。2200mまで下るといくらか風が穏やかになったようにおもえる。そこからフライト。下からいつものように中村校長が見ている。フライトは単独だが、車の回送や緊急時のことなどサポートがあるのはうれしい。無線からのアドバイスも大助かりだ。30分ほどふわりふわりして1700mの御殿場登山口の駐車場近くに着陸。
そしてついに頂上フライトの日がやってきた。以下経過を記します。
7月24日
クラブのホームページ上のやりとりで、中村校長が、今週末はいいんじゃないか、とアドバイスをくれる。富士山の気象を何年も見ている権威である。じゃ、行ってみるか、と車を富士の宮5合目へと走らせる。このところ富士山の頂上の風向きは西で、風速は20メートルというような日が続いている。
仮眠してから出たかったが時間がなく、夜中の12時にそのまま歩き出す。3度目の頂上トライだ。ここのところ何度か重荷を担いで富士山をうろうろしているので重さはあまり気にならなくなった。いままでと異なり夜風は穏やか、今日は飛べるか? ちょと眠いけれど、頂上に着いたら飛ぶのだと思うと気合が入る。夜が白んできて、日の出前の5時には富士宮口の頂上直下の鳥居をくぐった。
天気は悪くない。風は1、2メートルといままでとは異なる信じられないような微風。絶好のようだが、やはり風向きが悪い。西風なのである。
あいかわらず登山者は多い。そのままお釜ルートを須走口の方へとすすむ。ご来光をその場のみんなと一緒に眺めてから吉田登山口頂上鳥居へ。渋谷ハチ公前のような混雑である。添乗員のラウドスピーカーがうるさい。早々に前回下見した吉田大沢の入り口へと向かう。もうあたりはすっかり明るくなって、夏山の朝の日差しが注いでいる。せわしい気分になる。
吉田大沢は西風が吹き降ろしていた。フォローだ。障害物がないせいか西風がお釜の上を抜けてそのままここに吹き降ろしているのだ。パラグライダーはフォロー、つまり追い風だと離陸することはできない。
仕方がない。来た道を戻る。再びにぎやかな小屋前をぬけて、一方通行の下山路となっている須走側をのぞいてみる。お釜のふちの岩壁が西風を防いでくれているのか、風は悪くない。グライダーを広げるスペースもあるのだが、ご来光を拝んで、さあ下山、という人たちの行列が目の下に続いている。こんなところでパラグライダーをひろげたら黒山の見物客が出現することは明らかだ。
もうちょと先へと歩をすすめる。お釜のふちの登山道はやはり登山者が行き交っているので、適当なところからガラ場をひとくだりすることにする。登山道から見えるような見えないようなところ、溶岩の岩盤がかさぶたのようになっている滑り台状スロープを発見。ここにザックをおろす。真下を見下ろすと遥か向こうに須走口の駐車場がみえる。ということは、この足元の下、標高2800m、3200mまではこれまでのトライで登ってきているというわけだ。そのあたりはよく知っている!
ガスが湧いてきた。あわててパラグライダーを広げて装備をととのえる。日が出てから1時間以上もたっているのでガスがわき、風も上がってきている。ガスはうれしくないが、この風は離陸するためには必要な風だ。
準備ができた。だれも見ていない。いや、上のお釜のふちを歩く登山者何人かが気がついているようだ。風がほどよく吹いたときにグライダーを立ち上げなければならない。ここならと思った溶岩の岩盤の上だったが間違いだった。岩に埋めこまれた小石にグライダーのラインがひっかかるのだ。2度3度トライするがグライダーを上げることができない。無理をするとラインが切れてしまいそうなのだ。
途方にくれる。この場所はあきらめ、グライダーを手元に手繰り寄せてもう少し下ることにする。グライダーをひきづるようにして20メートルほど下ったガラ場の上にもう一回広げる。離陸するには最悪の場所だがほかにいいところは見あたらない。
いい風が入ってきた。一度軽くグライダーを身の丈くらいまで上げてみる。ラインがひっかっかることなくうまく上がった。チャンス。そのままそーっと落し、次に風が入ってきたところでいっきに立ち上げる。うまくいった。
風がよかったのだろう。一二歩歩いただけで体がぐーっと持ち上げられ、グライダーといっしょに空中に飛び出していた。出てしまえばこちらのもの。いつもと同じだ。上昇気流があがってきているのだろう。グライダーが前に進むと同時にぐんぐんと上がっていく。隣の尾根を越えたと思った瞬間、ぐーん、とグライダーが持ち上げられた。目の下には先ほども見た須走下山道を下る登山者の行列がみえる。わー、という歓声が聞こえたようだ。突然頭の上にパラグライダーが現れたのだから驚きの声かもしれない。
大気はさほど危険のようには思えなかった。360度ターンを続けてグライダーを上昇させる。お釜のヘリの高さまであっという間に上がる。お釜の中が見える。レーダードームの外された測候所も見える。登山者はもうアリのように小さい。スタートするのが遅れたせいで、逆に上昇気流に当たることになった。多分日の出直後にでていたらひたすら下降するだけのフライトになったことだろう。
頂上に近づき過ぎたせいか、グライダーの片方の翼がバサッと潰れる。ひやひや。富士山の乱気流は耳にタコができるほど聞かされている。軽量化のため置いてきた緊急用パラシュートのことも思い出す。これが忠告と、ひたすら富士山頂からの離脱をめざす。
標高3000メートルまで降りてきてひと安心。今度はできるだけ遠くへ、長い時間飛んでいたいものだと、あれこれ操作するが、グライダーは高度を下げるばかり。目の前には西風が温まった空気に当たってできたのだろう。屏風のような雲の壁が数キロにわたって麓に向かって延びている。そこに入りこまないように南西へ南西へと進むが、強い西風が顔に当たるのがわかる。やがてグライダーが前に進まない状態になりいっきに高度が下がりそのまま地面に降り立った。標高2200m地点、宝永山の作った砂漠エリアの真ん中だった。不思議なことに頂上ではそよ風ほどの西風だったのに、ここではグライダーが飛ばされるほどの強風になっていたのだ。
離陸6時55分。着陸7時30分。わずか35分の飛行。パラグライダーを始めてから307回目のフライト。強い西風の中、10分ほどだろうか、ぼくは着地したそのままの姿勢で座りこんでいた。
gpsデータから作成した画像とチャート
orignal gps data [.gdb]file
BACK TO ARC2004年の記録
BACK TO ARC